めでたく

2006年3月11日 日常
僕もめでたく立派な浪人生になりそうです。
1.敗因は腐った性根である
2.一浪した先輩がまた落ちた
3.私大に行っても就職は強い
この3つからまだはっきりとは決めかねるのですが、
クラスメートで同じ大学を受けた人が揃いも揃って現役合格なので
それで自分だけ違う大学というのはやはり悔しい淋しいものが
ありますから

しかし浪人は負け組ってイメージは爆発。
まあとりあえず鬱!ってことで。
さあどうしようかな。
将来とか考えられないし、
実際のところやりたいこととかないから余計と決めにくい。
しすぎて疲れた。
加減を知ろう。
ごめんよみんな、ごめんよみんな。

簡単に言えば

2006年3月2日 日常
悔しくて悔しくて言葉にできない。
小田和正ではない。
浪人しようか。

さてさて明日は

2006年2月28日 日常
さてさて明日は卒業式です。

前々からここに書こうと思って
道を歩きながら構想を練っていたことも
大抵PCの前に向かうと忘れてしまって書けない。
ジンクス(?)は前期の発表を前にして崩れた。
20日に受けたところ落ちたらしい。
まあいいさ。
これで四方囲まれた前期も受かるかもしれないし。
(というかこんなこじ付けばかり信じている自分があやしうこそものぐるほしけれ。)
ちなみに17日のは受かってた。
あとは前期の発表を待つばかり。
待てないってば!

せわあえたこ

2006年2月27日 日常
たぶん落ちたなこりゃ。

sorry to be born

2006年2月26日 日常
ある友達が受験後に言いました。
「終わった。いろんな意味で(笑」

僕はといえば

開放感に満ち溢れている!
(うまくいったかどうかは別にして。実際のところ受かったら「やっぱりな」と思うだろうし、落ちたとしても「やっぱりな」と思うでしょう。過去問は結局手をつけずじまいだった。席の四方も人に囲まれた。というわけで僕はこの諸々の反証をつくろうと思う。)


満ち溢れているに開放感ている!
(国語・・・たぶん易化。差をつけたかったところだけに痛い。古文は心情読み取りばかりでわけわかめ。
数学・・・たぶん易化。過去2回受けたS台のT大模試では合計点が12点、160点のうちの12点。そんな自分にはありがたいかもしれないが幾ぶんかのケアレスミスが悔やまれる。)


玄関あけたら○トウのごはん!
(社会・・・たぶん例年通り。鉄道史なんてしりましぇん。僕は死にましぇん。昨日急いで日本史の復習をした甲斐はあっただろう。地理は今朝になって漸く手をつけたがあんなん考えりゃどうにかなる。たぶん。
英語・・・友人らによると難化。過去問をしないことの効能のひとつ、「例年より難しくてもパニックに陥らない」が発動。
自分のリスニング力のなさ。これは明日からでも強化する。受験とか関係なし。そんなの英語に関しちゃ区別してない。英作文時間無くて焦った焦った。)



林檎をガリリと齧って歯槽膿漏に気付く!
(こうして難化だとか易化だとか書いてどうするんだろうか。自己満足しかありえないだろう。或いはこの二日間の記録とも取れる。受かれば笑って振り返るだろうし落ちれば悔しく振り返るだろう。当然。
そんでもって僕は受験オタクでもガリ勉でもありませんからね、念のため。)



「普段ネガティブなのはいざというときにポジティブになるエネルギーを蓄えていたのだよ諸君!」
(開放感に対して骨抜きになるこのあられもない姿。)



みかんとバナナで「バナナみかん」!
(別に歯槽膿漏にはなってませんが舌にできものはできている。)



受かれ!浮かれ!
(やりたいことは腐るほどある。2年位前から第二外国語にしようと決めていたドイツ語の勉強は先ず真っ先に再開する。英語力の強化も怠れない。ついでに最近物理が面白そう。数学も然り。ゲームもしたいし本も読みたい。「文章読本」が読みさし。映画だって見たい。うちの親が映画に詳しく本も家にいろいろあるようだからそれ読んで何から見るか決めようか。)


生まれてすみませんとは太宰治の言。
(学校に通っているときから、昨日や今日の昼食やらまでよく一緒に行動し、同志として励まし合っていた文系4人組。この中の誰か一人が欠けても辛い辛い。行きたい人がみんな行きたいところへ行ければいいのにねえ。例の医学部志望の友人に「まぁ神様は世の中を理不尽にしたがる」と言われた。彼は確かにごくたまに突飛な行動をとったりもするが何故にあのような冷たい扱いをたくさんの人にされねばならぬのか。僕は根が優しくて真面目で格好いい彼が好きだ。みんな上っ面しか見ちゃあいない。当たり前といえば当たり前だし内面に踏み込むことは普通の付き合いをしていればそうならざるを得ないのだろうけど。)



伊勢丹に

いつも神頼みしてたら
いつもベストの状態。
だとしたら
本当に困ったときに最大限の力が発揮されていない気分になる。
だから
困ったときにこそ神頼み。
平常が60、神頼みしたら90と考えるとわかりいいかもしれない。
いつも90だと困ったときも90のままで変わり映えしない。
いつも60でいざというとき90だと神頼みした甲斐を感じられそう。

以上、へりくつポンチでした。
こんな注記はどうでもよくて。

入学許可証が来た。
外国語の履修についての冊子もついてきた。
胸が躍った。
へへ、へへへへへ
るまんへっせ

とかじゃなくて。

5日間勉強らしい勉強をしていないけれど
ようやく気力が戻ってきたかもしれない。
かもしれな い。

とりあえず必然的浪人は避けられた。
恣意的浪人に関してはまだ。
数学の出来次第でしょう。
数学といえば
二つ目に受けた学校の解答速報見てチェックしたらやばいやばい。
2週間前くらいに、
この調子で行けば国立の数学8割取れるんじゃないか?
とか
思っていたことがまたもや妄想であったことが露呈される。

今日の入試も席は最前列で、右の人はお休みでした。
後ろの後ろが友達で驚いた。
今回の入試で初めて知り合いに出会った。

明日晴れなら学校へ行って友人に数学を教わる
明日雨なら海に行って雨音と波音を録る

眠い

2006年2月19日 日常
眠いったら眠い。
秩序だった行動は苦手だ。

だめだ

2006年2月17日 日常
また目標がひとつ消えそうだ。
怠慢な自分に務まるわけがない。
ラパンLAPINラパンジョプリン

ギターはせいぜい出せても一度に6つの音までですが、
ピアノなら物理的に言えば10も出せるのです。
確かにピアノではチョーキングできないけれど、
ギターでピアノの軽妙な感じは真似できない。
ピアノが弾きたい。
こう見えて幼稚園に通う前から音楽教室に通っていた。
幼稚園入園と同時にピアノを始めた。
親は何も英才教育をしようとしていたわけではありません。
幼稚園に入る前に集団生活に慣れさせておこうという
つもりで始めさせたわけです。
従って個人レッスンではなくて集団レッスン。
これがあだとなって、僕は小学校に上がる前にやめてしまいました。
みんなの前で、或いはみんなと一緒に弾くのが嫌だった。
人見知りだったから。
思うとおりに弾けなかったから。
下手なことを知られたくなかったから。
本格的な幼児の僕には無駄なプライドがあったようです。
分不相応のプライド。
続けておけばよかったとしばしば思うようになったのは中学生の頃からか。
個人レッスンだったらばどうなっていたろうか。
同様に、
幼稚園の頃からサッカーチームに入っていました。
これに関しては引越しのせいでやめることになったのですが、
どうして引越し先でやらなかったのかは謎。
別にやりたいという気も起こらなかったか。
そもそも始めたのが、友達がいるからという理由だったせいか。
これも続けておけば、と思うことがないことはないけれども、
今では「好きじゃないスポーツ(敢えて「嫌い」とは言わないでおく)」
ナンバーワンな気がする。
やってるとそれなりに楽しいけれども
自分から積極的にやろうとはこれっぽっちも思わない。
野球かバスケかテニスだね、やるなら。
というわけで、ラパンラパンピアノで弾きたいんだよ。


今日も受験でした。昨日と同じ場所だったので道には迷わない。
人についていけばもともと迷わない。
相変わらず案内役の、附属高校の生徒は元気いっぱい過ぎて笑っちゃいます。
別に軽蔑とかじゃなくて、純粋に楽しい。
出来具合とか別にどうでもいいです。
試験監督の先生が癒し系のおじちゃんでとてもとても愉快でした。
二日連続は草臥れます。
昨日夜更かししすぎたせいもあるだろう。
そしてエネルギー補給のために板チョコを持っていくのは危険だ。
結構粉々になってた。
そういえば、
相変わらず席の四方は囲まれていません。
昨日は一番後ろだった上に前の人は欠席。
今日は一番右後ろ。
今のところ四方が囲まれていないことはない。
ついでに言うと落ちたこともない。
∴四方が囲まれなければ受かる
本命で四方が囲まれたときのことを考えると少しぞっとしますが、
熱意そのものも微妙に薄れている気もせずにはあらず。
大体いい大学に入って何するんだっていう。
いい点を多く挙げろと言われれば昨日今日受けたところの方が
多く挙げられるような気さえする。
志望校自体が成り行き任せ。
いい会社に入って給料いっぱい稼ぐのか。
そりゃあ稼ぐに越したことはないだろう。
お金いっぱい欲しいかと言われればはいと言うだろう。
ないと生きていけないから少ない収入は恐い。
じゃあいっぱい稼いでおっきな家でも買って
高級車でも乗り回すか?
実は前者は小さい頃からの夢だったりもする。
ずーっとマンション暮らしの自分は
祖父宅のような広い一軒家に憧れていたわけだ。
しかし、
しかしだ。
家を買って一緒に住む家族なんて要らないし、
高級車を乗り回すための運転免許だって欲しくない。
結局なんにも欲していない気さえする。
(そんなことはないんだろうけど)

そんで、
そんなことどうでもいいんだけど、
もう人間やるのはやめて、
人間になりたがってるベムたちと交代して、
僕は蚊にでもなって、
飛んで火にいる夏の虫やるの。
年に一度の飛んで火にいる夏の虫大会。
「飛び込めー!」みたいな。
通過儀礼?
いやいや、毎年やるから違うか。
もう人間飽きたんだよ。
人間面白くないし。
人間なんて早くやめてしまいたい。
廃人やりたい。
ハイジーンは「衛生」なんだってさ。

聴いてて楽しくなるのはジャズ。
気分がハイテンションになるのはロックだろうか。
楽しいのとハイテンションは似て非なるもの。
例えばクラスでの遠足だってハイテンションにはなるけれども
別に楽しくなんかないし。

電車に乗る。
空席を見つけて座り込む。
目を瞑る。
音楽に浸る。
集中する。
内側に集中する。
聴覚以外の五感(四感?)を一切排除して集中する。
これがずっと昔に言ったような「音楽の二種類の聴き方」の
うちの一方の、極端な例です。
ついでに、もう一方は外側に放射して聴く聴き方。
気が向いたら話す。
別に聞きたい人はいないだろうけど
そのへんは自己満。
そもそもこのブログ自体が自己満。

ブログといえば、
毎日書いていると小論文対策になるそうです。
たぶん嘘。
けど昨日も今日もすらすら書けたよ。
下書きなしでいきなり書き出すやり方でも。
欠点は勿論ある。
制限字数内に終わらないことがある。
今日もそうなりかけて無理矢理終わらせた。
気分が乗ってくるといくらでも書ける。
キーボードは便利だ。
完全なブラインドタッチではない。
(↑ここまでで2058文字)
設問の条件満たしてないのに残り3行とかになる。
無理矢理詰め込んで終わらす。
キーボードは手書きに比べて疲れにくい。
それでも年賀状の宛名書きは手書き。
どうでもいいこだわり。

思いつくままにずらずらと書き並べる。
それで気が済むならいいじゃあないか。
でも人間はやめたい。
じゃあやめろよと言われてもそれはできない。
1度手に入れたものは手放しにくいのだろうか。
要らなくなったものはポイポイ捨てるタイプの人と、
要らなくなったのにいつまでも未練がましく持っているタイプの人。
自分は勿論後者です。
「これからピカの毒を取る実験を行う!」

別に受験失敗なんかしてませんよ。
むしろ成功でした。
しかも帰りに数少ない中学時の友人の1人に会って
一緒に帰って気分も上々!



ところがどっこい、
気分の起伏の激しい自分は瞬殺的に憂鬱になるのさ!
漸く漸く「妄想」から解き放たれて自由になると思ったのに
また「この世の全てとその本質」に逆戻り!

もうどうでもいいし。
疲れたし。
だるいし。
腰痛いし。
明日受けたくないし。
受験票が来なくて焦って友人に聞きまくる。
足切りはされてないはずなんだが。
ひさしぶりに牛乳を飲んだ
別に僕は受験勉強で気狂いになったりはしません
こう見えて高校三年生男子です
実際のところそこまで勉強はしていませんが
何となく何をする気にもならず睡眠時間は多かったかもしれない
というのが日記(紛いの物書き)を中断してからのほんの数日の過ごし方です
そのかんに考えていたことをそのうち大まかではありますが
むやみやたらと自己満足の波に溺れつつ
書き並べてみたい気もします
ほんとうにたわいなく
まさにやまなしおちなしいみなし
ですが
そんなことで文句を言われる筋合いもないでしょう
ニューデリーの朝です
とっても涼しいインドを想像します
象は意外といません
インド=象
というのはまったくのステレオタイプです
そんな連想をするのは僕だけかもしれませんが
ところで
あることをすると
どうにもたまらない気持ちになります
それが何であるかここでは敢えて触れないことにしますが
そういうことを行うとしばしば
どうにもたまらない気持ちになります
それはどの感情に近いといえるでしょうか
悲しみでしょうか
虚しさでしょうか
それとも情けなさでしょうか
あるいはあるいは
あるいはなんでしょうか
よくわかりません
ここでひとつ断っておきたいことがあります
僕は今ニューデリーにはいません
日本にいます
ただそれだけです
妄想癖と空想癖と虚言癖が重なるととんでもないことになります
あと
僕の冗談を友人がしばしば本気にするのが意外です
僕の勘違いからくる自信に満ちた誤りに関しても同じことが言えます

気分が乗ってきたのでこの数日間について書こうと思います
この数日間
実を言うと1月の末からなのですが
とてもとてもささいなことでなやんでいました
それは
「適当」という言葉についてです
僕の語感としてこの単語は
ひとつに
「恣意的で時にいいかげんなさま」
ひとつに
「物事に対してふさわしいさま」
の2通りの意味を伝えてくれます
ほんとうに些細なことです
弟が教えてくれた事実です
弟はいろいろ教えてくれます
まだ小学生だからだと思います
彼は猫を飼って名前をつけるならチャミがいいと言っていました
僕は彼のことをもちと読んでいます
もちと呼んでもう何年にもなるのでもう本名では呼べない気さえします
話を戻します
僕は昨日髪を切りに行きました
髪は1ヶ月に1度切るのが最近のやりかたです
いつも同じ人に切ってもらいます
とてもうまいです
とても気が利きます
1を聞いて10を知るタイプの人な上に
客にやたら愛想をよくしようとしたり話しかけたりしないので
会話が苦手な自分としては
とても気楽でありがたいです
ついでにいうと
美人なところもいいと思います
昨日は珍しく会話をしたわけなのですが
こちらとしては文字通り
早急かつ的確な返答をせねばならないとのプレッシャーによって
事実として正確な返答ができないことがままありました
ここに「適当」の真髄を見つけたわけです
(大げさですよね)
つまり
「適当」であることが日常会話において「適当」だというふうに
感じたのです
もともと「適当」ですけどね
そして勿論皆さん既にお気づきかもしれませんが
ここに書き並べたこと自体がそもそも「適当」極まりないです

そしてもうひとつ
僕は世界のすべてとその本質が8割方つかめました
そんなありえないだろと思うのはみなさんの勝手です
それでも最後の登校日によくわかってしまったんです
それで数日間ここに何も書けなくなってしまったし
携帯でのメールも激減した
その答えが何かはみなさんのそうぞうにおまかせしますが
少なくとも僕の中でのこの答えは
冷静に考えれば至極当然であり身近なものでした
妄想癖の僕のことですから
きっとまた取り憑かれただけなのだろうと
自分自身を客観的に見てもいます
だから別に頭おかしくなってないです
もとからおかしいだろとかいうのはやめてください

長文が読みにくいというのは経験上わかっていますから
これを最後まで読む人はごくごく限られた暇人であろうということは
想像に難くない
その暇人には感謝したいと思う
僕が読み手なら
文字が羅列してあることが「見えた」瞬間に読まないことをきめますからね

ひとつ自分で作った決まりによって
自分が大きな矛盾に包まれていって
身動きができなくなって
悲しくなって
苦しくなって
絶望して
身動きができなくなる
という悪循環にはまることもよくあります
意地になっている自分にこの決まりを破ることはもはやできません
そんなときに音楽に頼る逃げる

断線部分をテープでとめて補強していたイヤホンが本格的に壊れました
新しいものを買いに行きましたが
あえて別機種を買ってしまったのが失敗で
明日返品しようと思います

みなさんお元気ですか
ニューデリーは朝に関しては涼しいです
小学校のころの夏休みのラジヲ体操を思い出させてくれます
いつも集まっていたあの空き地は
今は阪和道か何かになって消えてしまったそうです
懐かしいです
見に行ってみたい気持ちもありますが
昔のイメージが壊れてしまうのは悲しいことかもしれないので
一生行かないかもしれません
もし犬を飼うことになったらゴエモンという名前をつけよう
もし猫を飼うことになったらうんにゃめという名前をつけよう
気持ちよさそうだ



(今日は普段の休日よりはだらだらしませんでした。
昨日のおかげでいい流れが作れたのかもしれません。
けれども第一志望の学部や第二志望の学校を決めるのに
たっぷり時間を使いすぎてしまった感はあります。)

やばいやばい

2006年1月28日 日常
なんだかとってもやばいんだよう

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や

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