初めての西部劇

2009年4月9日 映画
世界観が完全にfremdだったせいで物語に入り込むのに
相当時間がかかった。たぶん半分くらい経ってようやくという感じ。
でも一旦入れたらあとは楽しく見られた。
足の悪いじいさんがいいよね。
あと途中で入ったカントリー的な音楽。
そういう諸々、コメディ的な部分、アクション的な部分、ラブストーリー的な部分、etc.
を含めて、様々な要素が詰まったエンターテインメントという印象。
またハタリ!あたりの別の西部劇でも見てみるか。

アリバイ

2009年4月9日 映画
やっぱり数学の教授が出てきたのはこの映画だったか。
ドイツで何の映画だったか一向に思い出せなくて悶々としていた。
2ヶ月近く空けてのレビュー。

厳しい。何かと緊迫感・迫力感があった覚えはあるのだけれど、
詳細まで踏み込めるほど思い出せない。
ライター。メリーゴーランド。
ラストは2パターン。
何で牧師なのかよくわからんが、牧師エンディングの方が好き。
ちなみに授業ではテニス首振りのシーンを扱いました。
個人的には授業で指摘されていなかったらあまり気に留めていなかったかも。
でも面白い。

今までのヒッチで一番好きかもねえ。
そういえばドイツのホストファミリーの家に
ヒッチコックの何か(これまた何だったか思い出せない!)の映画のTシャツを
リメイクしたクッションがあった。ホストマザーもヒッチ好きだってさ。
(なんつうかクタクタ。erschoepft.
ドイツ語作文に何だかんだで2時間もかけてしまった。
それはともかくとして、
最近現実逃避が得意すぎてやばい。
いや、勉強もしていることにはしているのだけれど、
如何せん今までサボりすぎた&量が異常。
不可の山を築き上げてやるぜ!
それは困る。
まあ9分の4くらいは単位来てくれるんじゃないかな。
専門はつらいのう。
一応つまらないわけではない)

ソフィア・コッポラ第2作とか言ってるけど
親父コッポラの映画すら見たことないよ。

舞台は東京。
しかし登場人物は日本語を使えない。
翻訳の齟齬。
感情の齟齬。
しかし言葉の通じる(いや、「言葉が通じる」だけではない)相手が。
「言葉」ないし「言語」という重要な問題も孕んでいるが、
むしろ「東京」という都市に注目したい。
良くも悪くも眩しいネオンの明かり。
首都高。

不案内にして東京を題材にしたような映画は
他に『東京物語』しか知らないのだけれど、
あれは別に「東京」という都市にスポットを当てているわけではないよね。
あれはむしろ「東京」という「先進」地域やその習俗・人々と、
取り残されいく、あるいは去りいく者たちとの対比がテーマの
ひとつだといえるでしょう。

それに対してこの映画。
もちろん観光案内などではないのだからそんなに都市ばかりに
焦点を当てているわけではないのだけれど、
ホテルから見える景色しかり、
文化しかり、
路地しかり、
やはりそういった側面をそれなりに意識しているように思う。
やはり「場」というものは大切ですね。
現代都市としての東京。
(仕方ないことだが『東京物語』は古い。
どういうことが言いたいのかというと、
「現代」東京をここまでピックアップした
映画を知らないってことだけだけど。
古いは古いでいいと思う。ノスタルジックで。
架空のノスタルジー。)
にしてもあのマシューはいただけないなあ。
(そういえば時代は昔のだけど、
『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズがあった。眉間未見。
ま、探しゃあ他にいくらでもあるっしょ。)

『風をあつめて』(はっぴいえんど『風街ろまん』収録)
作詞:松本隆 作曲:細野晴臣
昔から好きで好きでたまらない曲。
4年ほど(空白が1~2年あるが)かけて最近だいぶ弾けるようになった。
(とあるDVDでは細野氏が実際に弾いてみようとしてミスりまくるらしい。
友達が持ってるんだけどまだ見てない。見たい。)
映画『ロスト・イン・トランスレーション』公開当時、
この曲が日本の予告編のBGMとして流れ、
大いにフィーチャーされているのだろうなという印象を抱いていた。
ところがどっこい!
ここから細かいことは内緒。
これは詐欺でしょう(笑)
それはまあいいとして、繰り返しにもなるが、
新潮文庫『斜陽』にて柄谷氏はその小説を
「明るさが暗さを喚起し、暗さが明るさを喚起する世界、
(中略)微妙な光と影の世界である。」と解説していた。
この言葉はまるまる、この曲にもほとんど似たようにあてはまる。
こんなにも明るくて、こんなにも暗く、
そしてその明暗がこんなにも相互に増幅しあっているような曲が
他にあったろうか。
確かにビートルズは暗いときにも明るいときにもよくマッチする。
けれどもそれは単に曲や曲調にある種の普遍性があるというだけのことである。
(これはこれですごい。)
あるいはビーチボーイズの『ペットサウンズ』なども
明暗の感触がすごいのだけれども、これはこれでまた異種な気がする。
(もちろんこれもこれで大好きだ。
SMiLE、パープルチック版、もっとちゃんと聴きこも。)
この『風をあつめて』という曲はたぶん一生好きだと思う。

鬼さんこちら

2009年2月11日 映画
楽しく観られました。
アバグネイル天才だわ。
オープニングもかっこいい。クール。
個々のエピソードは面白かったけど、
振り返ってみて、全体の筋としてはどうだったかなあという感じ。
冒頭に出てくるテレビ番組の続きも見てみたかった。
何はともあれ、たまにこういう
純粋エンターテインメント的な映画を見るととても面白い。
かの有名な二人組の映画なのだけれど、
ラストシーン以外はほとんど見るところがなかった気がする、
なんでだろ。
ラストシーンが豪快すぎてびっくりしたのは認める。
あとC.W.のキャラがイカス。

(そういえば今日、というかもはや昨日、はレポートを仕上げた以外は
何一つ勉強していないというピンチ。)
(キャッチミーイフユーキャン、ロストイントランスレーションを
抜かしてたけどまあいいや、また気が向いたときに)
(だいぶすっきりした)
こわいことで有名な映画。
こわい映画は好きです。
おじさんがキチガイ。
メイキングでもキチガイ。
キューブリックもなかなかのキチガイ。
スリル満点でした。
有名な斧のシーンが特に。(授業でグリフィスの『散り行く花』のラストを見た)
黒い家(見たのが6年前)とどっちがやばいだろね。
今まで見た中で一番こわかったのを聞かれたらどっちかにする気がする。
13金とかは半ばコメディだからねえ。
飲み物こぼして行ったトイレのシーンは幻想的。
迷路いいね。やりたい。迷路の最初の登場シーンはハッとした。
つうか子役名優。
キューブリックは割と長尺なイメージで、
これも実際に2時間を越えているのだけれど、
テンポよく見られた。
途中寝たけどこれはよくある話で、「つまらない」という意味ではありません。
ひとつには映画を深夜に見ることが多いということ、
それからもうひとつは日中であっても大抵眠いということ。
ただひとつだけ難点を言うならば、超能力ものはあまり好きではありません。
トリュフォー見たの4つ目。
『ロープ』より見たの先だったけどミス。
見る映画を監督基準で攻める(といいという噂もある)。
no photoなのは残念というかややナンセンスなんだけど仕方がない。
見たのはもう一個の画像でる方じゃなくて
『あこがれ』がついてくるこっちだったから。
もっとも、これは既に見た。
で、トリュフォーは同じヌーヴェルヴァーグで
即興演出でも知られるゴダールに比べて、
内容というか話の筋自体をよく構築しているように思う。
というか、今まで見た4作はいずれも終わり方がきれい。
こんなに終わり方がきれいで印象に残りやすい監督は今のところ知らない。
終わりに向かっていろいろばらけていたものが収束するというか、
砂時計の上半分という感じ。
ただ話としてはそこまでスリリングというわけでもなく、
個人的感想としては今のところ
突然>ピアニスト>大人は
という感じだろうか。
でもどれも終わり方がきれいなんだよなあ。
あとそういえば音楽もよかった。
韻ふみふみ。ジョルジュ・ドルリュー。

(眠れぬ夜の手慰み)
長回しの妙。
思いの外古い(1948。カラーが不自然だがここまで古いとは。てかもうカラーあったんか)。
背景が面白い。長回しとの兼ね合い。
ヒッチコックは空間の見せ方が独特だと感じる。授業でも扱ったが。

(「決して自分はこうではない」と主張しても他人からそう見られているならばそうなのであり、
否定は原理的に不可能である。
残念だ。)
Um nach Deutschland zu fliegen!

これキャストが非常に豪華。
東京物語に比べて楽しいタイプの映画。
小津映画はこれで2つ目。
彼の特徴的な画面構成、
とりわけ人物を真正面から撮る絵はやはり違和感を感じざるを得ないのだけれど、
建物の内部の撮り方は美しいと思う。
人がおらず建物だけのシーンなんかは静謐さがひしひしと感じられたり。

あと気になったのは、妙に台詞回しが芝居がかっているけれど、
これは当時の演出としては一般的なものだったのかしら。

何かと間接的な見せ方が出てきた点も興味深い。煙突とか、あと何があったっけ。
人間の想像力と構成力・把握力、常識観念。

文学的表現と通じているところも。お墓と視線。過去と未来。

社会的な背景。

おまけ映像として収録されているパンフレットも面白い。
昔はテレビなんてなかったからだろうけど、映画の制作数がとても多くて驚いた。
一年に何本も。

つうか日本の文化とやらにもうちょっと通じておく必要がありそう。3月の出発までに。

(今日から師走でびっくり。11月なんてあったっけ。)

書き忘れ追記(12/7)
・「こはやがわ」初見じゃ読めない
・紋様がきれい。ふすま?や、うちわ。

さあいよいよ!

2008年11月22日 映画
ヒッチコック見たの2作目。
ホクホク星はビデヲにとってまだ見てない。

空間の問題。
示唆の方法。
そして娯楽。

というわけで早く寝ねば。
この映画はもはや「映画」ではないといえるんじゃなかろうか。
映像を使った何か。詩ではないしねえ。

ゼロから。ある意味本当にここからなのかもしれない。

(渋谷のツタヤのこれの運の悪いひとつにあたって、
うまく映ってくれなかったのが3箇所ほどあって
少し悔しい思いをしたので、
また機会を見つけて見直すべきか。)
(渋谷のツタヤにはカラビニエがないのである、僕の知る限りでは。
これは断片を見たのだが、きっと面白いに違いない。
断片だけで笑えたし考えた。)
(勝手にしやがれのDVD販売を見かけない、という点に関して。)
何だかねえ、という感じ。
新世界の流れっぷりは、まさに「流れっぷり」。
あんなに悠々合格してみたいものだ。
つうか大学(?)の仕組みどうなってんの。
というか一歩間違えればゲラゲラものの映画な気がしてきた。
筋肉野郎とかね。
ミュージカルなら何でもいいってわけじゃないということはわかった。
そらそうだわな、普通に考えて。
(あなたは「七つの大罪」を知っていますか。)

"That is an answer."
蝙蝠は鳥になれなかった。
蝙蝠は獣にもなれなかった。
しかしそれでよかったのだ。
一つの凝まりに安住してはいけない。
思考の様式、方向性に癖がつく。
常に冷徹な、距離を保った視点を。

蝙蝠と言えば。
しかし、たとえ蝙蝠が鳥でも獣でもなかったところで、
蝙蝠はすっかり蝙蝠なのである。
自分は自分から逃れ得ない。
影帽子のように、というが、自分に最も近いのは他ならぬ自分である。
鳥からも獣からも離れたところで、結局蝙蝠は蝙蝠というひとつの凝まりとしてそこにいる。
(これは善なのか、それとも悪なのか。また、この点から諸問題を主観の問題としてさも解決し得ないふうに片付けるのは当然安易に過ぎる。これらに関しては今は割愛する。)
これは自明なのだろうか。
そしてその自明性を以て誇示されるものなのだろうか。

蝙蝠は実は哺乳類である。しかし翼がある。狐も狸も翼を持たない。
一方でくちばしも持っていない。
この期に及んでその蝙蝠(蚊を食らう「かほふり」を語源とするその名もまた。)とやらは、その独自性を確信的に主張するのか。

これはひとつの倨傲である。

Dio mio!

2008年11月7日 映画
ストロンボリって響きがおもろい。地名だっけか?
なぜか(まあ関連はあるのだが)フランス語の授業で見たけどイタリア映画だった展開。
勿論ロッセリーニなんだからわかりきってはいるのだけれども。
風俗・慣習とか宗教とか。今はどうなってるんだろ。時間・空間設定の妙。
噴火シーンどうやって撮ってるんだろ。
終わり方がねえ。

メモ
吉田直哉
ドキュメンタリーも悪くない。
ドラマとの境目は。
割と時計仕掛けのオレンジが連想されたりするんだが。

それはおいておいて、この手の映画を見たことはほとんどないから、
今のうちは詳細のコメントは控えることにする。
端的に言えば、楽しい。見てて楽しい。
あとは、なかなかに示唆に富んでいたのではなかろうかと。
劇中劇に関してや、嘘ないし設定に関してなど。
他にもこういう種類の映画を見てみよう。
今の自分には難解すぎた。
背景知識や知識がなさすぎて全然「読めない」。
もっと勉強してからまた見よう。
(ここのところ記憶力が脆弱すぎるゆえ、
逐一ここらへんに筆跡を残しておかないと、
映画を見たことさえ忘れてしまいそうだ。)

久々にバイトらしいバイトで、
BGMが一瞬ビートルズカバー特集という
素晴らしくも珍しい展開。

「しょっちゅうせずにはいられない妄想の一つに誰か知り合いなり友人なりと一緒に駅のホームや踏切で待ってるときに予兆もなくいきなり電車に飛び込むっていうのがあってその一緒にいる人はどれくらい驚くんだろうかと考えてしまうんだけどいくら僕が人を驚かせるのが好きでしばしば突飛な言動をとるとは言ってもこればかりはどうも試してみる気が起きないんだよねえ」
サイレント映画のDVDないしビデヲを見る際に
注意せねばならないのは、
音楽は販売時になって後付けされている
という点だそうで、
この映画もしかり、un chien andalouもまたしかり、
音楽が好きでもそれは作品自体には関わっていない。
知らなかったやられた。

これが80年以上前の映画だと?!
という感じのすごさはある。
淀川氏の言う通りセットとか。
ドイツ映画なのに英語の説明でやや残念か。
マルクスマルクスエンゲルス。
アルファヴィル。
プラトン。
これだから宮﨑あおいはやめられない。
こんな映画も勿論いいんだが、明るい映画に出る機会が
もっと増えればいいのに。
陰日向、あるいはクドカンのに期待か。

三億円事件の犯人が実は女子高生だった、と。
それがまず頭にあったせいで、注意注目がそこに向きがちだったから、
途中まで、どちらかといえば駄作か、と思っていたわけだ。
何で兄が出てるんだよ、とか。
まあそれをもってしてもあの時代の雰囲気は好きなので、
それを楽しんで見ることはできた。
雰囲気楽しむ系映画だなあと思いながら。
勿論当時を直接知るはずもないので、ある種の先入観からして
その雰囲気がよいと。

途中少し(時代が時代なだけに)荒っぽいシーンが出ることもあったが、
淡々と静かにしっとりとストーリーは進む。
最初のバイクシーン。明るい風(「自転車と風の清々しさ」と同様。
大阪物語と真心ブラザーズを想起)。
LA NAUSEEはChamps-ElyseesのVirginで買おうか迷って結局買わなかった。
いやこれ普通ばれるんじゃないのかと。
小出恵介はKOのボンって目で見ることもあるからこの設定はうってつけ。
とかとか思いながら。

犯行前の階段での二人のシーン。
犯行後の頭をポンとやるシーン。

もうこのへんで御託を並べるのはやめにして。
結局三億円事件ってのは材料に過ぎない。
題名に注意。
ちょっとした隠し味があったからか、終わり方が非常に清々しかった。
もしこの後半から終わりにかけてがなかったら、たぶん駄作だと思っていただろう。

これだから
憤慨。せめて自助努力で復活させる余地くらいあればよいのに。)

もっともっともっとインプットを増やせ。
もっともっともっと。
TuttoTuttoTutto。
HottoMottoTutto。
Tout va bien?

それなりにインプットしてはいるものの、
あまりそれに見合った「もやもや」がないのは少し問題がある気もする。

ひとりで出かける勇気が昔に比べて減った気がするのは気のせいだろうか。

「せめて人並み以上」


ハレルヤ。吉野刈りと聞いてまず吉野ヶ里が思い浮かんだ。
そういえば「カナリヤ」見てない。
小さいコミュニティ内のなんとやら。
見てから日が経ちすぎた。既に書いたつもりになっていた。
初荻上。のはず。
あの頭のトンデる感じの人、いいね。
小学校高学年って心の動きを描くのに丁度いいというか、興味深いというか。
精神的成長と、町の動きやその他の動きの絡み。
みんな芸達者だしね。よいよい。
伝統って何だろう。伝統を守るって何だろう。よく聞く話だけど。
「伝統文化」を設定して、従来の展開から深く考えずに日本ものを想定していたら、
西洋の伝統(ピアノ)が出現するとか、生命の伝統(生殖)が出現するとかっていう実体験。


とにかく、
もっともっともっとインプット
(という言い方には若干の語弊があることに今気付く)
を増やさねば、何もできない。
勉強やその他の用事を言い訳にしない。
(だからといってそれらをおろそかにしては二の舞。)
時間の使い方が下手というか、寝すぎなんだと思う今日この頃。
最近寝すぎなのではもちろんなく、そもそもロングスリーパー。
アインシュタインとは違うんだから真似してはいけない。

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