バイト柄、小学生に読ませる文章を読むことが多いのだが、
小説の類がしばしば22才をして感動せしめるものである一方、
論説の類に関してはしばしば小学生には有害とさえ思えるような
奇怪な意見・論理を呈していることがある。
別段思想統制を敷くべきだなどと考えているわけでなく、
思想・信条の自由はさらにも言わないものの、
今どき平気で時代遅れの「環境問題」だとか「日本語の美しさ」
だとかを厭と言うほど繰り返し読まされる小学生の心情はいかほどのものか。
もっともこういった題材を否定しているわけではなく、
より最近の内容に更新すればいいのに、ということである。
不要と思しき古臭い観念が固定観念化して次代に引き継がれることに対する違和感である。
例えば山口某(内容からして10年ほど前のものかと思ったが、驚くべきことに2006年。氏は年をとって脳みその更新が止まったか)。
日本語のなんとやらという文章の抜粋を読んでみたところ、
「世界の言語が一元化するのはまずい。いろんな言語があって競争するから世界は発展する。言語が一元化された世界に発展はない。日本語を守るべし、嗚呼美しき日本語!」
概ねこのようにあった。イデオロギーありきで論を無理やり進めているようで
(憲法学者宮沢俊義によれば、法学の世界には科学学説と解釈学説というものがあり、
前者は文理等から演繹的に学説を導いていくことであるのに対し、
後者は個人的信条等に基づく結論に到達するように論を構築することであるそうだ)、
いろいろ破綻していると言わざるを得ないのだが、
どうもこの本で何かエッセイの賞をとったらしいのである。
確かに抜き出しを読んだにすぎないとの批判は免れないであろうが、
こういった文章を、大学教授の肩書きを借り、I新書の権威を借りて、
恥も外聞もなく書き晒し、何も知らない小学生や一般読者を納得させ、
場合によっては教化してしまうことに大変違和感をおぼえる。
情操教育とやらがこんなのでいいんだろうか。これがいわゆる社会化か?
言語ついでに言うと、日本語を英語との対比のみを通じて
「とても異なっている!特殊ですごい!」などと論ずるのも
無駄な欧米中心主義を醸成するものだと思う。
一方前者、すなわち小説は素晴らしく、自らの小学生時代における読書不足
(と言いつつズッコケ三人組だけは徹底的に読んでいた)
を勿体なく思うと同時に、果たして幼稚な10才前後の自分が
同様の感動を得られたか疑問に思ったりもする。
ただ、思うに、児童文学のすごいところは、簡単な状況設定、平易な文章で以て、
未だ感情が複雑な分化を遂げていないとされる年少者に対して
その心情を動かさんとする点である。
大人に対する文章は多彩な背景、場合によっては衒学的な語彙を用いて構築されるため、
ある意味(ある意味、である)けむに巻くことにも近かろう。
したがって大人小説は児童文学に対して書きやすいというか、そもそも書き手はもはや「大人」なのである。
それに対し、児童の感情は未分化であるがゆえ、それなりに根源的で、
児童文学がこれに対して平易な語彙で直接的に突っついてくるものであるせいで、
22才が読んでも「ははー」となるのに違いない。
ところで2日前から運動を始めた。バットの素振りなら自分でもできる。
早速マメもつぶれた。今日は事情により出来ない。
継続は力なり。
小説の類がしばしば22才をして感動せしめるものである一方、
論説の類に関してはしばしば小学生には有害とさえ思えるような
奇怪な意見・論理を呈していることがある。
別段思想統制を敷くべきだなどと考えているわけでなく、
思想・信条の自由はさらにも言わないものの、
今どき平気で時代遅れの「環境問題」だとか「日本語の美しさ」
だとかを厭と言うほど繰り返し読まされる小学生の心情はいかほどのものか。
もっともこういった題材を否定しているわけではなく、
より最近の内容に更新すればいいのに、ということである。
不要と思しき古臭い観念が固定観念化して次代に引き継がれることに対する違和感である。
例えば山口某(内容からして10年ほど前のものかと思ったが、驚くべきことに2006年。氏は年をとって脳みその更新が止まったか)。
日本語のなんとやらという文章の抜粋を読んでみたところ、
「世界の言語が一元化するのはまずい。いろんな言語があって競争するから世界は発展する。言語が一元化された世界に発展はない。日本語を守るべし、嗚呼美しき日本語!」
概ねこのようにあった。イデオロギーありきで論を無理やり進めているようで
(憲法学者宮沢俊義によれば、法学の世界には科学学説と解釈学説というものがあり、
前者は文理等から演繹的に学説を導いていくことであるのに対し、
後者は個人的信条等に基づく結論に到達するように論を構築することであるそうだ)、
いろいろ破綻していると言わざるを得ないのだが、
どうもこの本で何かエッセイの賞をとったらしいのである。
確かに抜き出しを読んだにすぎないとの批判は免れないであろうが、
こういった文章を、大学教授の肩書きを借り、I新書の権威を借りて、
恥も外聞もなく書き晒し、何も知らない小学生や一般読者を納得させ、
場合によっては教化してしまうことに大変違和感をおぼえる。
情操教育とやらがこんなのでいいんだろうか。これがいわゆる社会化か?
言語ついでに言うと、日本語を英語との対比のみを通じて
「とても異なっている!特殊ですごい!」などと論ずるのも
無駄な欧米中心主義を醸成するものだと思う。
一方前者、すなわち小説は素晴らしく、自らの小学生時代における読書不足
(と言いつつズッコケ三人組だけは徹底的に読んでいた)
を勿体なく思うと同時に、果たして幼稚な10才前後の自分が
同様の感動を得られたか疑問に思ったりもする。
ただ、思うに、児童文学のすごいところは、簡単な状況設定、平易な文章で以て、
未だ感情が複雑な分化を遂げていないとされる年少者に対して
その心情を動かさんとする点である。
大人に対する文章は多彩な背景、場合によっては衒学的な語彙を用いて構築されるため、
ある意味(ある意味、である)けむに巻くことにも近かろう。
したがって大人小説は児童文学に対して書きやすいというか、そもそも書き手はもはや「大人」なのである。
それに対し、児童の感情は未分化であるがゆえ、それなりに根源的で、
児童文学がこれに対して平易な語彙で直接的に突っついてくるものであるせいで、
22才が読んでも「ははー」となるのに違いない。
ところで2日前から運動を始めた。バットの素振りなら自分でもできる。
早速マメもつぶれた。今日は事情により出来ない。
継続は力なり。
・「顔本」始めた。
・巧みな交渉術と政治戦略力が欲しい。
・ケータイの代替機はボタンが小さいことを除けば非常に使い勝手がよかった。
ボタンが小さいとボタン間移動が速いから一長一短とも言える。戻ってきたケータイ(今日帰宅)がむしろ慣れない。
・某資格テキストが初めて届いたときの感覚はS研ゼミが初めて届いたときの感覚に似ている。
・「ヴィーナスとジーザス」の脳内ヘビーリピート。
・じゃやらねば→ジャヤラネーバー(インドの神様。チベット教の開祖)
・おはよう→オハヨフ(ロシアの高官)
・先週2コマ(全11コマ、2コマ休講のうち)しか授業出てなかったものの、ゼミ効果によりめっちゃ勉強した気分。
・パトロンになりたい。
・孫がほしい(子どもはいらない)。
・街へ出る。私の新陳代謝が街の新陳代謝に同期する。
・夜を「有益に無駄遣い」したい。しかし本当にしたいのかは謎。何だってそう。自分がしたいことなんて本当はわかりっこない。また旅行に行きそびれる。けれども本当に旅行に行きたいのかはよくわからない。自分の効用を最大化できる合理的人間って誰だ。始めから点数がわかるゲーム理論の俎上に乗せられているのは誰?
・ゼミ後に毎回飲みに行けば鬱にならずに済むんじゃなかろうか。
・丸尾末広流行ってんの?
・死ぬ前に手塚治虫すべて読破するのも悪くない。
・使う機能と使う愉しみ。例、タッチパネル式ケータイ
・忙しいときは時間の進みを速く感じるってよく言う気がするけど、むしろ逆だろうと思う。いろんなことがあった週はなかなか1週間が終わらない。逆もまたしかり。
・世間によくある仕方で「遊び」たい。ただ、「遊ぶ」ことが何なのかわからない。
・山をひとつ越えた。でももうすぐふたつめが来る。それもまた悪くない。
・巧みな交渉術と政治戦略力が欲しい。
・ケータイの代替機はボタンが小さいことを除けば非常に使い勝手がよかった。
ボタンが小さいとボタン間移動が速いから一長一短とも言える。戻ってきたケータイ(今日帰宅)がむしろ慣れない。
・某資格テキストが初めて届いたときの感覚はS研ゼミが初めて届いたときの感覚に似ている。
・「ヴィーナスとジーザス」の脳内ヘビーリピート。
・じゃやらねば→ジャヤラネーバー(インドの神様。チベット教の開祖)
・おはよう→オハヨフ(ロシアの高官)
・先週2コマ(全11コマ、2コマ休講のうち)しか授業出てなかったものの、ゼミ効果によりめっちゃ勉強した気分。
・パトロンになりたい。
・孫がほしい(子どもはいらない)。
・街へ出る。私の新陳代謝が街の新陳代謝に同期する。
・夜を「有益に無駄遣い」したい。しかし本当にしたいのかは謎。何だってそう。自分がしたいことなんて本当はわかりっこない。また旅行に行きそびれる。けれども本当に旅行に行きたいのかはよくわからない。自分の効用を最大化できる合理的人間って誰だ。始めから点数がわかるゲーム理論の俎上に乗せられているのは誰?
・ゼミ後に毎回飲みに行けば鬱にならずに済むんじゃなかろうか。
・丸尾末広流行ってんの?
・死ぬ前に手塚治虫すべて読破するのも悪くない。
・使う機能と使う愉しみ。例、タッチパネル式ケータイ
・忙しいときは時間の進みを速く感じるってよく言う気がするけど、むしろ逆だろうと思う。いろんなことがあった週はなかなか1週間が終わらない。逆もまたしかり。
・世間によくある仕方で「遊び」たい。ただ、「遊ぶ」ことが何なのかわからない。
・山をひとつ越えた。でももうすぐふたつめが来る。それもまた悪くない。
昨日はちょっとした厄日だった。
ケータイは壊れるわ、
バイトは向こう方の都合で辞めざるを得なくなるわ(労働法やっといてよかった)、
MDからMP3は結局アナログでしか移せないことがわかるわ、
深夜まで起きているエネルギーが足りないわ、
壊れたケータイから代替機にテキストメモを移し忘れるわ(これはCD-Rには入っているはず)、、、、、
自分のプレゼンスを理想通りに発揮できていないのが憂鬱の原因なのかもしれない。
結局は自己顕示欲が強いというか、目立ちたがりという。
つうかあれだよね、他の班員が午前4時とかまでやってるのに寝落ちしてる自分の貧弱さとかとか。
最近すっかり早寝早起きの人(と見せかけて早寝遅起きになってるこの2週間)
ケータイは壊れるわ、
バイトは向こう方の都合で辞めざるを得なくなるわ(労働法やっといてよかった)、
MDからMP3は結局アナログでしか移せないことがわかるわ、
深夜まで起きているエネルギーが足りないわ、
壊れたケータイから代替機にテキストメモを移し忘れるわ(これはCD-Rには入っているはず)、、、、、
自分のプレゼンスを理想通りに発揮できていないのが憂鬱の原因なのかもしれない。
結局は自己顕示欲が強いというか、目立ちたがりという。
つうかあれだよね、他の班員が午前4時とかまでやってるのに寝落ちしてる自分の貧弱さとかとか。
最近すっかり早寝早起きの人(と見せかけて早寝遅起きになってるこの2週間)
煩悩がまるで消えそうにないのは除夜の鐘のときしか108つ鳴らさないからだろ、
とか思ってその真偽を確かめたら
普段は18しか鳴らしてないことが判明。ウィキ参照。
煩悩は消えないのか。
そうだとしたらそれこそ煩悩が発動したときにいかに振舞うかが重要となる。
それにしても参った。
余計な欲は持たないに限る(はずなのだが、これが心の弱さ、か)。
「ヴィーナスとジーザス」ほしい。明日発売だっけか。
そういえばリアルタイムで一般的なCD買ったのはシンクロ~が初かも。
しかし節約せねば。毎年のことだが5月はお金使いすぎ。
このままでは卒業旅行に行けない人になってしまう。
(現に昨夏はサークルの沖縄旅行に行き損ねた。そんなわけで未だに沖縄経験なし)
『お腹が痛いなら明日になればなおるでしょう。三河にもらわれて行ったって、いつかまた返って来ることもあるでしょう。しかし大人の世界に入った人が子供の世界に帰ってくることはないのです。安雄さんは遠くには行きはしません。同じ村のじき近くにいます。しかし、今日から、安雄さんと小さい太郎は別の世界にいるのです。いっしょに遊ぶことはないのです。』
(新見南吉『かぶと虫』より)
とか思ってその真偽を確かめたら
普段は18しか鳴らしてないことが判明。ウィキ参照。
煩悩は消えないのか。
そうだとしたらそれこそ煩悩が発動したときにいかに振舞うかが重要となる。
それにしても参った。
余計な欲は持たないに限る(はずなのだが、これが心の弱さ、か)。
「ヴィーナスとジーザス」ほしい。明日発売だっけか。
そういえばリアルタイムで一般的なCD買ったのはシンクロ~が初かも。
しかし節約せねば。毎年のことだが5月はお金使いすぎ。
このままでは卒業旅行に行けない人になってしまう。
(現に昨夏はサークルの沖縄旅行に行き損ねた。そんなわけで未だに沖縄経験なし)
『お腹が痛いなら明日になればなおるでしょう。三河にもらわれて行ったって、いつかまた返って来ることもあるでしょう。しかし大人の世界に入った人が子供の世界に帰ってくることはないのです。安雄さんは遠くには行きはしません。同じ村のじき近くにいます。しかし、今日から、安雄さんと小さい太郎は別の世界にいるのです。いっしょに遊ぶことはないのです。』
(新見南吉『かぶと虫』より)
精神のバランスの為と称して禁忌を犯すことの是非。
もっともこの「禁忌」とやらは
自分で自分に課したものなのだけれど。
娯楽・息抜きさえタスク化された世界。
自縄自縛。自由からの逃走。
目一杯やることを詰め込んだら
悩みなんて忘れてしまうだろう、
新たに生まれてきやしないだろう、
と思いきや、
ヤツは隙を突いていつでも忍び込んでくる。
小学生の頃のように、
悩みとかストレスをまるで想像できない次元には
戻り得ないのか。
もっともこの「禁忌」とやらは
自分で自分に課したものなのだけれど。
娯楽・息抜きさえタスク化された世界。
自縄自縛。自由からの逃走。
目一杯やることを詰め込んだら
悩みなんて忘れてしまうだろう、
新たに生まれてきやしないだろう、
と思いきや、
ヤツは隙を突いていつでも忍び込んでくる。
小学生の頃のように、
悩みとかストレスをまるで想像できない次元には
戻り得ないのか。
自分にとっての一連の過去は、自分以外の何者かによって、その存在や真偽を証明し得るか。
Who was I?
(鉄男、森田童子、ナンバーガール、スーパーカー)
Who was I?
(鉄男、森田童子、ナンバーガール、スーパーカー)
最近の過ごし方はどうも丁寧さを欠く。
読書で言うならば乱読状態。
決して「こなしゲー」に陥っているわけではないのだけれど、
少なくとも精読は出来ていない。
「多量のことをして」時間を無為にしない、ということに関しては本意だけれども、
なにも「様々なことをして」時間を埋め尽くそうと考えていたわけではない。
「多量のこと」を心がけるうちに「多種多様のこと」に(凡そ無意識下で)すり変わってしまった。
やはり自分は根源的に精読できない人種なのかもしれないと思う。
そして気付いてみれば、
結果として意味のありそうな物事を私は何一つとして生み残してはおらず、
去りぬる時間、去りゆく時間に嘲笑されるばかりなのです。
これは原罪なのか。
読書で言うならば乱読状態。
決して「こなしゲー」に陥っているわけではないのだけれど、
少なくとも精読は出来ていない。
「多量のことをして」時間を無為にしない、ということに関しては本意だけれども、
なにも「様々なことをして」時間を埋め尽くそうと考えていたわけではない。
「多量のこと」を心がけるうちに「多種多様のこと」に(凡そ無意識下で)すり変わってしまった。
やはり自分は根源的に精読できない人種なのかもしれないと思う。
そして気付いてみれば、
結果として意味のありそうな物事を私は何一つとして生み残してはおらず、
去りぬる時間、去りゆく時間に嘲笑されるばかりなのです。
これは原罪なのか。
「趣味は日課を漸進的に増やすことです」
キャパオヴェールしそうでしないこのすれすれ感を楽しむ。
しかし運動だけはできない。
こないだ久々にストレッチしたら硬すぎて危機感を感じた。
「死ぬ気で生きることこそ生きる気で生きることだ」
だとするならば「おまへはもう死んでゐる」は至言ですね。
「朝活」
by日経アソシエ。こちとら夜にばかり外せない予定が入って、
日中に自由人。日中の時間をいかに有効活用するかが課題。
このままいくと夜の予定だけで週5日が(一時的ではあるが)埋まってしまう。
(たいていの邦楽(ポップス、ポップスロック)は元をたどれば
はっぴいえんど・YMOあたりに行き着くんじゃないだろうか。)
メモ
パレード(5/9)
武士道シックスティーン(これから見に行くつもり→見た)
キャパオヴェールしそうでしないこのすれすれ感を楽しむ。
しかし運動だけはできない。
こないだ久々にストレッチしたら硬すぎて危機感を感じた。
「死ぬ気で生きることこそ生きる気で生きることだ」
だとするならば「おまへはもう死んでゐる」は至言ですね。
「朝活」
by日経アソシエ。こちとら夜にばかり外せない予定が入って、
日中に自由人。日中の時間をいかに有効活用するかが課題。
このままいくと夜の予定だけで週5日が(一時的ではあるが)埋まってしまう。
(たいていの邦楽(ポップス、ポップスロック)は元をたどれば
はっぴいえんど・YMOあたりに行き着くんじゃないだろうか。)
メモ
パレード(5/9)
武士道シックスティーン(これから見に行くつもり→見た)
乗車率100%近い電車内でのこと。
自分の隣にはギャル系の若い女。席と席の間にまたがる形で二人分使って座っている。
そこへ夫婦が乗ってくる。40代後半。女の前に立つ。
女はどちらの席にも寄ろうとせずに二人分使ったまま。
まさか夫婦の存在に気付いていないのだろうか。
かたや夫婦。一見座りたそうだが何も言わず。すぐに降りるのだろうか。
5駅ほど過ぎて女は電車を降りた。
夫婦、即座に座る。女への文句を口々に話す。
彼らが電車を降りたのは、更に5駅ほど過ぎたのちである。
はてさて。
(個人的な意見としては、女も女だが、
夫婦も「すみません」の一言さえ言わずに文句というのはいかがなものかと思う。
特に文句の後の会話のつまらなさ、話すネタがなくてとってつけたような会話だった、や態度、買い物の荷物が若干他の乗客の邪魔になっていた、から言って、心証は断然夫婦の方が悪い。)
自分の隣にはギャル系の若い女。席と席の間にまたがる形で二人分使って座っている。
そこへ夫婦が乗ってくる。40代後半。女の前に立つ。
女はどちらの席にも寄ろうとせずに二人分使ったまま。
まさか夫婦の存在に気付いていないのだろうか。
かたや夫婦。一見座りたそうだが何も言わず。すぐに降りるのだろうか。
5駅ほど過ぎて女は電車を降りた。
夫婦、即座に座る。女への文句を口々に話す。
彼らが電車を降りたのは、更に5駅ほど過ぎたのちである。
はてさて。
(個人的な意見としては、女も女だが、
夫婦も「すみません」の一言さえ言わずに文句というのはいかがなものかと思う。
特に文句の後の会話のつまらなさ、話すネタがなくてとってつけたような会話だった、や態度、買い物の荷物が若干他の乗客の邪魔になっていた、から言って、心証は断然夫婦の方が悪い。)
是非はともかくとして(というかそもそもよくわからん)、
自分を動かす原動力の大半は結局のところ「負のエネルギー」だ。
(体力不足)
(自分の時間とお金を圧倒的に支配できるようになりたい)
自分を動かす原動力の大半は結局のところ「負のエネルギー」だ。
(体力不足)
(自分の時間とお金を圧倒的に支配できるようになりたい)
運動をせねばならないのはわかっているのだが、
どうもモチベーションが上がらない。
浪人中から4年間、断続的(?)に自主的な運動をしてはいるのだが、
3ヶ月継続できればいい方だ。
疲れてしまうということと、
毎日やらない(超回復のため)ことで言い訳を作ってしまいがちなのが
原因だと思う。
それにしても圧倒的にモチベーションを上げるいい方法はないものか。
英語は毎日できるのだが、運動ばかりはどうもうまくいかぬ。
足腰も腹背もガタガタだ。
どうもモチベーションが上がらない。
浪人中から4年間、断続的(?)に自主的な運動をしてはいるのだが、
3ヶ月継続できればいい方だ。
疲れてしまうということと、
毎日やらない(超回復のため)ことで言い訳を作ってしまいがちなのが
原因だと思う。
それにしても圧倒的にモチベーションを上げるいい方法はないものか。
英語は毎日できるのだが、運動ばかりはどうもうまくいかぬ。
足腰も腹背もガタガタだ。
仮に今22歳だとするとこの1年(A)は人生の1/22。
来年から働いて定年が仮に65歳だとする。
計算の簡単化のため66歳について検討すると、
その1年(B)は人生の1/66。
つまりAとBとでは体感として3倍の差がある。・・・ア
定年後は80歳まで生きるとする。
すると定年後の暇時間は15年。
ここで、今体感できるAを基準とすると
(ここでBを基準としないのは正当でしょう)、
アより、この15年は15÷3=5だから、
体感としては5年(未満。80歳の1年は体感として66歳の1年より当然短い)。
したがって、今の感覚から言うと、残りの暇時間は
1+5=6というわけで6年しかありません、こっまた。
(ということを酔った勢いでいきなり初対面一歩手前の人たちに
熱く語りすぎてしまった。猛省)
来年から働いて定年が仮に65歳だとする。
計算の簡単化のため66歳について検討すると、
その1年(B)は人生の1/66。
つまりAとBとでは体感として3倍の差がある。・・・ア
定年後は80歳まで生きるとする。
すると定年後の暇時間は15年。
ここで、今体感できるAを基準とすると
(ここでBを基準としないのは正当でしょう)、
アより、この15年は15÷3=5だから、
体感としては5年(未満。80歳の1年は体感として66歳の1年より当然短い)。
したがって、今の感覚から言うと、残りの暇時間は
1+5=6というわけで6年しかありません、こっまた。
(ということを酔った勢いでいきなり初対面一歩手前の人たちに
熱く語りすぎてしまった。猛省)
一生病気が治らない病気、とか。
今までストレス・疲れは気管支に来てたけど、
今回は胃腸に来てて不慣れ感も含めて厄介。
ちょっと良くなってたと思ったのにぶり返すとは。
今までストレス・疲れは気管支に来てたけど、
今回は胃腸に来てて不慣れ感も含めて厄介。
ちょっと良くなってたと思ったのにぶり返すとは。
祖母は相当心配して、毎日拝んでくれていたそうだ。
それなのに自分は決定後すぐには伝えず、何をやっているのだ、という。
生の声は聞いていないが、喜んでもらえたというのは嬉しい。
それなのに自分は決定後すぐには伝えず、何をやっているのだ、という。
生の声は聞いていないが、喜んでもらえたというのは嬉しい。
連絡なく、「信じて待つ」ものの、観念した。
あの企業を蹴るやつなんて外銀内定者くらいなもんだろう。
あるいは同業他社。
当面(3~5年)は徹底的に働いて、勉強して、
「経験+資格」の両輪でもって転職を目指す。
あの企業を蹴るやつなんて外銀内定者くらいなもんだろう。
あるいは同業他社。
当面(3~5年)は徹底的に働いて、勉強して、
「経験+資格」の両輪でもって転職を目指す。
・最終面接の合否
16日に確定的に結果が出ると思い込んでいたのだが、
どうやらそうではないみたい。蹴る人がいるかもしれないから
繰り上がり補欠として待て、とのことだと希望的に解釈。
「信じて待て。ただし半分は諦めておけ。」
とはこの4月から社会人になった先輩の弁。
彼の言うことはいちいちキャッチコピー的に胸にきて、良い。
彼から「この厳しい年によく頑張った」と言われたのも
素直に嬉しい。
・「二流企業」懇親会
周りの大学生との会話が本当に下らなかった。
あいつら金と女にしか興味ないのか。
大げさな話、品性を疑う。
仕事に夢とか目標を持っている人が少ないんじゃないかとも感じた。
志が低そう。
そういった中で働いても成長度が低い気がする。
つくづく、そして改めて、自分は今の大学にきてよかったと思う。
そして自分がおそらく「二流企業」で働くことを考えると、
ひとまず納得がいかないし恥ずかしい。
志の低さは環境要因が大きいのではないかと推測。
なぜなら、意識の高低は周囲の人間との相互作用によって
決まっていくと感じるから。
だから彼ら志の低い大学生を責めても仕方がない。
随分上から目線になっているのは承知の上で、
あえて上から目線で。
もちろんこいつと切磋琢磨したいと思える人間も多少はいた、
ということは書き残して、彼らの名誉を保っておこうと思う。
けれどもあんなんだからやっぱり「二流企業」なんだよな、
と思わずにはいられない。
初対面のときはそういう金やら女やらといった会話(天気ネタみたいなもの)
にならざるを得ないのかもしれないとも思って、
一旦は譲歩しなきゃとも思ったものの、やはり感覚としては違和感がある。
16日に確定的に結果が出ると思い込んでいたのだが、
どうやらそうではないみたい。蹴る人がいるかもしれないから
繰り上がり補欠として待て、とのことだと希望的に解釈。
「信じて待て。ただし半分は諦めておけ。」
とはこの4月から社会人になった先輩の弁。
彼の言うことはいちいちキャッチコピー的に胸にきて、良い。
彼から「この厳しい年によく頑張った」と言われたのも
素直に嬉しい。
・「二流企業」懇親会
周りの大学生との会話が本当に下らなかった。
あいつら金と女にしか興味ないのか。
大げさな話、品性を疑う。
仕事に夢とか目標を持っている人が少ないんじゃないかとも感じた。
志が低そう。
そういった中で働いても成長度が低い気がする。
つくづく、そして改めて、自分は今の大学にきてよかったと思う。
そして自分がおそらく「二流企業」で働くことを考えると、
ひとまず納得がいかないし恥ずかしい。
志の低さは環境要因が大きいのではないかと推測。
なぜなら、意識の高低は周囲の人間との相互作用によって
決まっていくと感じるから。
だから彼ら志の低い大学生を責めても仕方がない。
随分上から目線になっているのは承知の上で、
あえて上から目線で。
もちろんこいつと切磋琢磨したいと思える人間も多少はいた、
ということは書き残して、彼らの名誉を保っておこうと思う。
けれどもあんなんだからやっぱり「二流企業」なんだよな、
と思わずにはいられない。
初対面のときはそういう金やら女やらといった会話(天気ネタみたいなもの)
にならざるを得ないのかもしれないとも思って、
一旦は譲歩しなきゃとも思ったものの、やはり感覚としては違和感がある。