調子

2010年10月10日 日常
調子に波を作らないのが重要。
方法は?

メモ
オカンの嫁入り
地下鉄のザジ

奇跡

2010年10月6日 日常
ここのところ、どうにもこうにもやる気が出ない。
というよりもっと広い範疇で調子が悪い。
だいたい2年生の春から3年生の夏にかけての
調子の高位安定っぷりが奇跡だったのだ。
それ以降は安定的に不安定なのだが、
この数日は久しぶりにかなり悪い状況。

欲を抑え込むことはだいぶうまくなってきたが、
おかげで何が欲求不満をもたらしているかが
見えづらくなってしまったように思う。
欲が顕在化している状況下では単純に
それを満たしてやればよかったが、
今は何を満たせばよいかがわからない。
ただ内にフラストレーションのような何かが
くすぶっているのを感じるばかりだ。

理性の権化たる自分が、欲の権化たる自分の上に
馬乗りになって、怒り狂ってものすごい形相で
欲の権化たる自分をナイフでメッタ刺しにしている。
片や刺されている欲の権化は、そんな状況にもかかわらず始終ニヤニヤしているのだ。
彼は自分が消えるべき存在であることは理解しているようで、
膿のような自分はとっとと消えた方がいいと我ながら思っている。
だからこその笑みだ。
ただ、欲の抹殺は必要な欲まで消し去ってしまうことである。
かくして理性はぬけがらとなってしまった。


メモ
ジャーロ

動機

2010年9月30日 日常
さて、夏休み最後の一日。
安房に行ったり北海道に行ったりしてた。
あとは(草津?)温泉やら台湾やらドイツやらに行く。
資金を貯めるために来月は23日も働くらしい。
来年度からの予行演習みたいなもの?

・会社の先輩には無事に会えた。
・仲のいいゼミでよかった。そういえば裁判傍聴したことない。
・(少なくとも日常生活では)「わたし」と「あなた」は容易に区別できるけど、「わたしたち」と「あなたたち」の区別には非常に困難を感じる。そしてこういった例も含め、一般的に区別こそがある意味「法」であり「政治」なのだと思う。
・MDからMP3に曲を移す作業の手間のかかりようは異常。かといってまたCD借り直すのも金のかかりようが異常。
・大学ごとのカラーってあるな。
・異常性に気付いてるうちが花。
・ポケモン黒白がちょっとだけやりたくなってしまった。
・自分はこれ以上やせてどうするのか。ほおっておくと何も食べない。
・皮をむいで中身だけを食べるものはたくさん思い浮かぶけど、皮だけ食べて中身を捨てるものはなかなか思い浮かばない。今のところチョコエッグときんかんが挙がった。
・高校のクラスのつながりのよさ。
・旭山動物園は大幅に当たり
・(家が東京でないことを前提にしつつ)「東京から来ました」とか「東京に戻ってきた」ということへの抵抗がなくなってきた気がする。この点において東京は厳密な意味での地名ではなくなった。これで見事に東京出身設定の出来上がり。

結局のところ、自分を動かすエネルギーはいつも負の方向性のもので、
その反射効果によって動いているに過ぎない。
「誰々を見返してやりたい」だとか「やらずに後悔したくない」だとか。
真っ正面から「これがやりたい」って思えるものって
実のところ、生命体としての人間が必ず持つ欲求に基づくものだけなんじゃないか。
要は、下手をすればずっと「食っちゃ寝」状態だ。

メモ
十二人の怒れる男

天気

2010年9月14日 日常
・そもそも夜更かしという行為自体が、その一日に対する不満足感の表れ。
朝寝坊は一日に対する期待感の欠如の表れ。
・「正しい選択肢を選ぶ」「選んだ選択肢を正しくする」
この両方が揃わなければいけない。
・一打席目四球、二打席目投ゴロ、三打席目右前打(ポテン)、四打席目右前打(ポテン、打点2)
素振り効果か。
・2か月ほど前からアポをとり続けているのに
会社の先輩が全然会ってくれなさげなのは何かの策略か。
相手の反応が見えにくいメールは本当に嫌になる。
別件もしかり、メール全般に言える。
自分は圧倒的に返信が早いので、
まるで返さない人の精神構造が謎で謎で仕方なくて、
自分に対して「寛容たれ」と律しても律しきれなくなる一歩手前くらいな感じで謎。
・そもそも落ち着きが足りない。突っ走り気性をどうにかしたい。
対面のコミュニケーションじゃないだけにより一層相手の様子が
わからない。自分が周り見えてないのか否かとか。
・被害妄想も想像力の欠如か。
・回顧趣味同様、未来への先走りも現在に対する背信。
・何だかんだで未だに立て込んでる。

不幸

2010年9月10日 日常
不幸だ不幸だ、ははははは!
ここまでくれば不幸って言ってもいいんじゃないかな。

俺やっぱ結構えらいと思うんだよね。
確かにかつては親にもいろいろ迷惑かけたとは思うんだけど、
別に親のすねを過大にかじっているわけではないし、
就活に失敗して留年するわけでもないし、
学費は実質自分で払っているようなものだし、
こうなったら来年から家族を扶養しようかとも思ってるし、
今の時点でも実家住まいなのに家賃を払ってやろうかとも思ってるし、
あーほんと俺ってえらいな!俺、えらい!
それにヒキカエ世の中にはわけのわからんアホがたくさんいて、
自分の収入を超えてお金を使ってひたすら親から借金して、
しかも就活に失敗して留年させてもらうことになった奴もいれば、
それよりましでも地方から出てきて親から多大な仕送りを援助してもらって
ほとんどバイトしなくても異様なほどにお金をバカバカ使ってる奴もいるし、
ほんとたまんないね!
それに比べたら、俺もアホだったけど、ほんと、えらい!
来学期も、来年からも、稼ぐぞー!

(不公平感たまんねえ。人生において何が勝ち・価値かわからんけど、
うちの親は確実に負けだな。来学期の身の振り方をどうするかが本当に一大事。
学生生活って何?)

メモ
輪廻
2001年宇宙の旅

無精

2010年9月1日 日常
じつは無精に2種類あると知った。一つは「今日ノ所作ヲ明日作スコト」だが、もう一つ「明日ノ所作ヲ今日作ス」のも無精であると、国文学者の故佐竹昭広さんが「古語雑談」に書いている。
はじめの方は懈怠(けだい)、あとは懶惰(らんだ)と呼ぶそうだ。どちらも今日からの逃亡であることに変わりはない、明日のことを行って一向に支障がないほどあいているのなら、今日自体が充実していないのだということになる。


2010.8.31 日本経済新聞「春秋」より

(タイピングの練習したいな、というかせねば)


メモ
ハッピーフライト
片腕マシンガール

死体

2010年8月31日 日常
「今」という時間は恒常的に過去と未来の板挟みになっている。
その意味においても、また記憶≒想像という意味においても、
過去と未来はほとんど同じものだと見ることができる。
にもかかわらず、「今」為したり為さなかったりした行いは、
未来にしか影響を及ぼさず、過去を塗り替えない。

「一人称」という原罪。
結局最後は主観だし、結局最後は良くも悪くも自分が主役にならずにはいられない。

「欲望に少しだけ忠実になって考える。
一生のうちあと半年だけ、あと半年だけでいいから死体のような生活を送りたい。
ただそれは自分ひとりでは達成できない。
僕を殺して葬る人が必要なんだ。
だから、協力してくれないかな」

過失

2010年8月30日 日常
とるべきバックアップはこまめにとる。
「また今度でいいや」が自分を殺す結果になる。
大きな精神的損害を被った。
甘く見すぎていた。
「バックアップをとったつもり」も要注意。
とったつもりが見つからないパターン。
とったのか、はたまた紛失したのか。
ああああああああああああああ

メモ
悪魔のいけにえ
リンダリンダリンダ

現実

2010年8月23日 日常
夢を追うのではなくて現実を追わねばならない。
現実から逃げるのはもちろん×。
では夢から逃げるのは?

インターネットの普及と検索サイトによるコミュニケーションのあり方の変化。
ちょっとした知識や情報を有しているだけでは別段頼りにされることはないし、
質問をネタにして会話を広げて距離を縮めることも難しくなりつつあるような。
全部「それくらい自分で検索しろ」で終了。
逆にこの状況から新たに生まれているコミュニケーションの型は何があるだろうか。

メモ
怪猫 お玉が池
幸福な食卓
アマデウス

不信

2010年8月18日 日常
不信が不信を呼ぶ。
内部で増幅されていく。

家族を見ていても思うのだが、
彼らと同様自分は集団的生活に向いていない。
他人と積極的に関わることに向いていない。
不寛容で個人主義。
寛容を心がけてはいたのだが、
結局それは自らの不寛容の裏返しに過ぎなかった。

邪推しすぎなきらいがあるのかもしれない。
他者の言動からついつい悪意を感じ取ってしまう。
そして不信が脳みその隅っこを朝から晩までじくじくと虫食み続けるのだ。
ストレスフル。摩耗する精神。
これだから他者と関わるとよくない。
(そのくせ身勝手に他者を求めてしまうのが悪い癖だ)
いっそのこと、
「人生は神経をすり減らすゲームで、
先にすり減らしきった者から順にあの世へ行くことができる」
と捉え直してしまおうか。
いずれにせよ神経がすり減るのは、
社会生活を行うことを前提にするならば不可避なのだ。

癲狂

2010年8月16日 日常
周りの人間の為すこと為さないことがやっぱりやっぱり不可解だ。
言ってしまえば気に食わない。
そうだそうだ、やっぱりそうだ、
俺以外は頭がおかしいに違いない。
さもなくば俺の頭がおかしいかのどちらかだ。
人間行動の予想不可能性にはほとほと呆れる。
人間は元来孤独だ。他者との関わりは虚構に過ぎない。
孤独に耐え、孤独と戦い、そして孤独に死を待つ、それだけだ。

期待

2010年8月15日 日常
夏休みらしい夏休みが実質的に終了。
あとは働くか勉強するかというゾーン。
例年に比べ遊びが多めかつ集中的だった。
そのぶん一瞬だったし、と同時にとても長く感じる。
今月頭が遥か昔のよう。

・人と親しくなる/することへの後ろめたさ、自信の持てなさ。どうしてもどこかで人を疑ってしまう。
そしてその疑いの本質はきっと自分自身への疑い。
・自分自身も含めた人間に対する期待を完全に排してしまえばもっと平穏に生きられると思う。
自分に期待しない。他人にももちろん期待しない。
・期待と疑いの、このねじれた関係。

メモ
血のバレンタイン
インセプション
第三の男

無駄

2010年8月1日 日常
強烈に無駄。な時間を過ごしにけり。

明日(というか今日)から当分合宿連荘の巻。
8月の前半がずっと複数の合宿で埋まっているという。

前のPCが壊れて新しいのがきてキーボードまで新しくなってて使いづらい。
反応が悪い。母音と子音の片方がしばしば抜けるからしっかり叩かなきゃいけない。
配列も若干違っている。面倒。要慣れ。

ゆら帝はやっぱり最高だ。
EVIL CAR最高。

熱中症には気をつけましょう。

明日から合宿なのにこれは夜更かしフラグ、か?
よりによって自分がちゃんとやらなきゃいけない展開なのに……!

打算

2010年7月30日 日常
学期中ほどの早起きは正直なところできていない。
7〜8時起床。ただし必ずしも朝を有効活用できているわけではない。

世の中を堂々と渡り歩くには打算が必要。
ただしその打算にはさりげなさが不可欠。
打算を使いこなせるように慣れたい。政治力。

男女で払う金額が異なるという文化が新鮮。
今回の場合、批判はしないけれど根拠が謎。

決断力。
責任引受とともに、上に立つ者に最も要求されるものだと思う。
今の自分は優柔不断過ぎる。今後意識して伸ばしていかないといけないだろう。
ついつい深く考えてしまうのが罠だが、それは直ちに否定されるべきものでもあるまい。
ポイントは、確たる価値基準を自分の中に設けることだろうと思う。
そこから演繹的に決断を下せたらいいわけだが、
少なくとも今の自分にはそんなに
はっきりとした価値基準があるわけでもなければ、
世の中があまりに多様すぎるためにあてはめが難しい。
経験は勿論必要だが、歴史から学ぶことも重要。
多くの人になるべく異論を抱かせないように、
すっぱりと正統的に論理的に感情的に彼らを納得させ、
さらには喜んで行動を起こさせるような結論を導く決断が理想。


メモ
ゴッドファーザー

起床

2010年7月20日 日常
明日(というかもはや今日。現在0:27)からが勝負。
平日の休みが始まるのだ。
朝寝坊をしないこと。
ちなみにこの夏学期は5:30〜8:00には起きてた。
1限に間に合うには5:30、2限に間に合うには8:00が目安だったのだ。
(毎度間に合っていたわけではないが。)
やけになって4:30に起きてた時期・日もあった。
その分を休日に寝まくることで返上したり。
というわけで休み中は6:00起きを目安にしよう。

(家のPCが故障中。4代目/台めを買うことに。
毎度5年目の7月にやられて買い替えてるらしい。
新しいのが来るのは2週間後だとか。不便不便。)

休暇

2010年7月18日 日常
「『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下『プロ倫』)は…(中略)…大学生の必積読書(ひつんどくしょ)である。」

夏休みが到来した。人生最後と言っても過言ではない。
これをいかにうまく使うかが自分の満足度を大きく作用する。
いや、これはトートロジーか。
とにかく無計画にだらだら過ごすのだけは避けたい。

希望

2010年6月30日 日常
夢も希望もない、というときの「希望」はどの意味の「希望」か。
1.あることの実現に対する願い
2.将来に対する明るい見通し

「いとしみ」「いとしさ」と言って、
「にくしみ」と言うのに、「にくしさ」とは言わない。
元になる形容詞が「〜しい」なのか否かの違いによるかと思いきや、
「たかい」「うまい」などで「たかしみ」「うましみ」とは言わない。
そういえばシク活用でも「あたらしみ」とは言わないなあ。

自分の感情を全部理詰めで解きほぐして処理できるようになったら
それは一つの悟りかもしれない。

映画を見ることと判例を読むことは少し似ている。どちらも評釈あるし。
と思いきや、
映画も判例も社会的文脈の中に位置付けられたテキストであることを
考えれば当然かもしれない。

メモ
天然コケッコー

芸術

2010年6月23日 日常
「芸術は可能か」
最初は「まじ何これー超アートっぽい!」とか言ってる人がいる限りは
芸術は可能だろうと思ったけど、
それは「芸術は存在するか」の問いにしか答えていないことに気付く。
つまり、
(1)「芸術は存在するか」 yes→(2)へ no→おしまい
(2)「芸術に何らかの理念形は存在するか」 yes→(3)へ no→「芸術は可能か」という問いが不適切
(3)「芸術は何らかの理念形に到達しうるか」 yes→「芸術は可能」 no→「芸術は不可能」
という具合になるのかな?
本当はもっと前提を吟味しながら進むべきなだけに大ざっぱだけど。
例えば「可能とはいかなる意味でか」とか。
それで「新参者」の最終回に45分遅刻するという惨事に引っかかったわけだ。
メールで中継してもらいつつビデオもとってあるからまあ大丈夫。
しかもたぶん見る必要を感じていない。
ちなみに今のところ個人的にはアキレスと亀の要領で「不可能」だと思う。
もっともその道筋は追いかけっこのような単線的なものではなくて、
もっと多次元的なものだと思う。

3日連続で早起きに失敗。疲れたまってるんだろうか。
そこまで疲れることはしていないつもりだけれど、
月曜にやや夜更かししたのがまずかったか?
ある種の余裕のせいで気が抜け気味との説も。

メモ
告白

快楽

2010年6月20日 日常
快楽と幸福は違う。これを混同してはいけない。
少なくとも、短期的な快楽であるに過ぎないことが明確である物事については避けること。
幸福は快楽の集積ではないのだ。
(しかし良くも悪くも自分は幸不幸を滅多に感じない。
感じるの快不快ばかりであるように思う。)

勝てない戦いと勝つためのモチベーションが上がらない戦いに巻き込まれるのは御免蒙りたい。
それでも否応なしに自分を吸い込んでいくのが社会の目であり、
その目を気にする自分自身なのだ。
早くおりたい。おりるだけの強い心が欲しい。

いずれにせよ自分自身の効用曲線を特定できればだいぶよくなりそうなんだが。
頭すっからかんで平和な人が、
知ってか知らずか他人を足蹴にしている姿は実に腹立たしい。

危機

2010年6月19日 日常
はっぴいえんどの「しんしんしん」を聴いていました
深夜の証明写真ボックスに押し込められた死体
雨はざぶざぶ
死体を担いで川を泳ぎ渡ります
死体は初対面
家まで送り届けないといけない
けれども送り先もわからない
初対面だから
気付くと雨は雪に変わっていて
自分の体はすっかり重くなってしまいました
周りの目はとても冷たい
手伝ってくれてもいいのに
せめて声くらいかけておくれよ
でも知っています
みんな余計なことには関わりたくないことを
誰も話を聞いてはくれません
「しんしんしん」はとっくのとうに終わっていました
「春よこい」
鈴木茂のかっこいいギター
家さえ飛び出なければ今頃みんな揃って
いや、僕に家らしい家なんてなかった
かたつむりだった
ときどきあの証明写真ボックスだって使っていたんです
だから僕は死体が僕の場所を占拠したと勘違いしたんです
求めよ、さらば与えられん
僕は何を求めて死体を送り届けようとしているのでしょうか
こんなことをしているのはこんな深夜に僕だけです
みんなの目が冷たい
こんなことに関わったおまえが悪いと言わんばかりです

俺だってこんなことに関わりたくはなかったんだよ!!!!!!

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