2021.11⑧

2022年1月16日 日常
秋田・青森旅行記改め、津軽。【七 帰路】

 酸ヶ湯温泉からは青森駅行きのバスに乗り、終点から一つ前の新青森駅で下車することにしていた。座るなり気付いたことは、温泉臭が自らに強烈に染み付いてしまっていたことである。マスクをしていたため余計にそのように感じられた。これによりまたも気分を悪くしてしまい、その朝買っておいたチョコを食べながらなんとかしのぎ、予定より少々遅れて新青森駅に到着した。
 新青森駅では妻と両親への土産に加え、Oが前日に買った「鶏めし」を夕食として、それからOがその日の朝買っていた青森のソウルフード「イギリストースト」を夕食の予備として購入し、東京行き新幹線「はやぶさ」に乗車した。はやぶさにもいくつか種類があるのか、途中停車駅が一番少ないパターンのようで、行きにかけた時間(十二湖散策を含む)のおよそ1/4の時間で東京駅に到着する。
 気分の悪さの一因は空腹感にあるという仮説の下、「なぜか腹が空いて仕方がない」と言いながら、着席早々鶏めしを開け食べ始めることにした。「昼にきりたんぽくらいしか食べていないのだから当然だろう。食欲があるのは健全だ」と言われ、そう言われてみれば確かにまともに食事を摂っていないことに思い至った。鶏めしを食べ終えた時点で空腹感が一定満たされたとともに、Oが夕食の予備であるカツサンドをカロリーの観点から食べないことに決めたことをも踏まえ、イギリストーストは翌朝に回すことにした。
 まだこの時点で『津軽』を読み終えていなかった。この旅は『津軽』への旅であり、『津軽』との旅でもあったのだ。小説はいよいよクライマックスを迎え、太宰は自分の育ての母親に会おうとする。それと呼応するかのようにOとは中学時代の話になる。Oは当時自分が住んでいた場所に行ってみたいが、共に行く相手がいない、行くとしたら同じように当時住んでいて今離れてしまった人と行きたいが、そういう人とも特につながっていないと言う。自分もそういうつながりは一切失くしてしまったが、自分の住んでいた場所には一人で訪ねることもあった。この違いがOと自分との相性の良さを表しているようにも思われた。
 中学の同級生から同窓会に誘われないことへの恨み節を唱えるOに対し、誘われたとて共通の話題もなかろうと返す自分。Oはそれに軽く首肯しながら、そもそも卒業した中学校が廃校になってやしないかとスマホで検索を始めた。幸い廃校にはなっておらず、立派なホームページまで拵えていた。Wikipediaに有名な卒業生として誰が載っているのか、そりゃOが載っているだろうなどと軽口を叩きながら、自分も卒業した中学校のホームページやWikipediaを見ていると、有名な卒業生としてYという見覚えのある漫画家の名前があった。この漫画家をどこで目にしてどのような印象を抱いていたのか定かではない、というかその程度の朧気な印象しかなかった。しかし今になって思えば同姓同名の知り合いがいたな、程度には思っていたかもしれない。いずれにしても改めてその名を目にすると、似た名前の人物に明確な心当たりを感じたので更に検索を進めたところ、驚くべきことに自分の部活の2年先輩であることの裏付けが取れた。自分は俄かに興奮した。その興奮をOと共有した。Oにはあまり響いていないようでもあったし、自分としても他人をも興奮させるほど興奮していたわけではない。言うなれば、『津軽』の太宰が実の母以上に慕った育ての親に何とか会うべくあたふたし、読者をも心配させるのに比べて、自分はその漫画家の漫画をスマホでチェックし、機会があれば立ち読みしようという程度の考えだ。自伝的な漫画なので、もしかしたら自分もその他大勢のような位置付けで出ていたり、知っている人も幾人か出ていたりするかもしれない、といった具合だ。とはいえ、仮に妻に同じ話をしたとしても全く共感は得られないだろうし、それに比べればOからは余程共感を得ていたように感じている。現に自分は今もこの話を妻にはしていない。そもそも旅行の話さえ妻には聞かれた範囲で概略を話した程度で、「転職活動の準備などもあり忙しいので」とだけ伝え、家事・育児を半ば放棄してすっかり部屋に籠ってこの旅行記を書いている。以下、『津軽』からの引用でこの旅行記を終えることとしたい。
 『見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森におけるT君であり、五所川原における中畑さんであり、金木におけるアヤであり、そうして小泊におけるたけである。アヤは現在も私の家に仕えているが、他の人たちも、そのむかし一度は、私の家にいたことがある人だ。私は、これらの人と友である。
 さて、古聖人の獲麟を気取るわけでもないけれど、新津軽風土記も、作者のこの獲友の告白を以て、ひとまずペンをとどめて大過ないかと思われる。まだまだ書きたいことが、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。』

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