秋田・青森旅行記改め、津軽。【二 リゾートしらかみ】
秋田駅を出て、五能線の起点たる東能代駅にて10分ほど停車ののち、バスケで有名な能代工(現:能代科学技術)のある能代駅に到着した。旅の予習に活用した堀北真希の『NONFIX その先の日本を見に』という、大学生時分以来お気に入りのDVDの通り、この駅でも20分ばかり停車し、ホームに設置されたバスケのゴールに向かってフリースローにチャレンジできるという。1球投げて成功すれば商品がもらえるとのことだ。多くの人がチャレンジすべく列をなし、中には華麗にシュートを決めた電車おたくのような若者もいたが、いざ自分の番が来て、魂を込めんと両手でボールを地面にバウンドさせたところ、予想外に跳ねなかったために調子が狂ってしまった。先の若者のようにボードに当ててゴールさせようと思ったにもかかわらず、嗚呼、ボールは籠にも届かない距離で無残にも放物線の頂点を超え、あえなく全くの失敗に終わった。なお、次に並んでいたOもボードに当たるところまではよかったが、シュートを決められなかった。
残る時間でOに付き従って売店に向かう途中でスタンプラリーのスタンプを見つけた。実は自分は昔からスタンプやスタンプラリーが好きで、旅行先の駅にスタンプが置いてあると必ずと言っていいほど記念に押して帰る。今回能代駅に着く前に列車内にスタンプラリーの台紙を見つけていたが、何かが鈍っていたのか、特に手を出さないまま下車していた。そこで自分はそそくさと電車に引き返して台紙を入手し、しかとスタンプを押してやったのだった。残念ながらスタンプラリーは前の東能代駅から始まっていたのだったが、後悔先に立たず、ここから押せる分だけ押していくほかあるまい、特段商品があるわけでもない、と例のごとく利得を秤にかけながら、酸っぱい葡萄の狐を密かに演じてみせた。
このスタンプラリーには先述のリゾートしらかみ3タイプそれぞれのスタンプも存在し、3つ全てに乗らないとコンプリートできない仕様となっている。この日は十二湖駅で途中下車し、散策ののち別のリゾートしらかみに乗車することとなっていたため、おそらく「くまげら」とは違う1タイプのスタンプは押せるだろうとの目算があった(この時点ではどのタイプなのか明らかになってはいなかった)。「くまげら」のスタンプは車両の一番前と一番後ろのそれぞれに設置されている。その情報を能代駅ホームのお土産屋の女性から聞くやいなや最前列に向かいスタンプを押しておいた。座席に戻るときに前に座っていた、眼鏡で小柄な中年女性一人旅(ピンクのパーカー)の客からどこにスタンプがあるのか聞かれたが、思わず聞かれ終わる前に「一番前にありますよ」と答えていた。詳細は割愛するが、このおばさんとは旅の終盤、新青森駅にて我々がバスから下車し、彼女が残って青森駅まで乗っていくところまで、ほぼ同じルートを辿ることとなる。ちなみに、お土産屋ではバスケットボールのマグネット(能代駅限定)を購入した。また、その前にはあまりにも悔しかったフリースローに「商品は要らないのでもう一度トライさせて下さい」と堀北の真似をして再挑戦したが、ボードにボールが当たったものの、ゴール枠の左側に跳ね返され、成功には至らなかったことも記録しておく。Oの真似をして始めた旅の予習だが、この再挑戦は予習なくしては思いつかず一層強く後悔していただろうと思うと、予習を甘く見てはならんなと思った。
能代駅を出発し、あきた白神駅に到着する。うまく聞き取り損ねたが、ここにはほんの数分しか停車しないようで、正確な時間が分からないことと相まってスタンプを押すのは断念した。しかし、夫と子供を座席に残したお母さんがスタンプの設置場所にピタリと合う列車出入口に待機して一瞬でスタンプを押して戻ってくるのを見て、どの道にもプロがいるものだと感心した。次の岩館駅ではこのプロに付いて行き、無事短時間でスタンプを押すことに成功した。少しのことにも先達はあらまほしき事なり。
忘れてはならないが、この列車はスタンプラリー列車ではなく、あくまでリゾート列車である。岩館駅を過ぎ、電車が日本海沿岸を走る中、Oは風車に興奮の声を上げ、自分はいかにも日本海とでも言いたくなるような、厳めしい岩々の並ぶ海岸線に声を上げていた。こうした風景は決して「風光明媚」とは呼ばれないであろうが、それでも一見には値すると人々に見なされているのであろう、電車はときどきそのような地点に来るとアナウンスとともに速度を下げ、乗客はその風景をあるいは目に焼き付け、あるいは写真や動画に収めているのであった。以前の自分であれば写真はそこそこに、いかに目に焼き付けるかが肝要だと思っていたが、年を取るにつれ記憶力が低下しているのか、写真がないと旅の思い出をうまく再生できないようになっているため、写真や動画を抜かりなく撮っておいた。しかし家に帰りついてそれらを見返しても、その対となるべき記憶がそもそも薄く、再生に若干の困難を来したことから、中庸が大事なのだと改めて思い知らされた。そうこうするうちに十二湖駅に到着した我々は「くまげら」号に別れを告げ、コインロッカーに少々の荷物を預けた上で、バスで散策コースへと向かった。
秋田駅を出て、五能線の起点たる東能代駅にて10分ほど停車ののち、バスケで有名な能代工(現:能代科学技術)のある能代駅に到着した。旅の予習に活用した堀北真希の『NONFIX その先の日本を見に』という、大学生時分以来お気に入りのDVDの通り、この駅でも20分ばかり停車し、ホームに設置されたバスケのゴールに向かってフリースローにチャレンジできるという。1球投げて成功すれば商品がもらえるとのことだ。多くの人がチャレンジすべく列をなし、中には華麗にシュートを決めた電車おたくのような若者もいたが、いざ自分の番が来て、魂を込めんと両手でボールを地面にバウンドさせたところ、予想外に跳ねなかったために調子が狂ってしまった。先の若者のようにボードに当ててゴールさせようと思ったにもかかわらず、嗚呼、ボールは籠にも届かない距離で無残にも放物線の頂点を超え、あえなく全くの失敗に終わった。なお、次に並んでいたOもボードに当たるところまではよかったが、シュートを決められなかった。
残る時間でOに付き従って売店に向かう途中でスタンプラリーのスタンプを見つけた。実は自分は昔からスタンプやスタンプラリーが好きで、旅行先の駅にスタンプが置いてあると必ずと言っていいほど記念に押して帰る。今回能代駅に着く前に列車内にスタンプラリーの台紙を見つけていたが、何かが鈍っていたのか、特に手を出さないまま下車していた。そこで自分はそそくさと電車に引き返して台紙を入手し、しかとスタンプを押してやったのだった。残念ながらスタンプラリーは前の東能代駅から始まっていたのだったが、後悔先に立たず、ここから押せる分だけ押していくほかあるまい、特段商品があるわけでもない、と例のごとく利得を秤にかけながら、酸っぱい葡萄の狐を密かに演じてみせた。
このスタンプラリーには先述のリゾートしらかみ3タイプそれぞれのスタンプも存在し、3つ全てに乗らないとコンプリートできない仕様となっている。この日は十二湖駅で途中下車し、散策ののち別のリゾートしらかみに乗車することとなっていたため、おそらく「くまげら」とは違う1タイプのスタンプは押せるだろうとの目算があった(この時点ではどのタイプなのか明らかになってはいなかった)。「くまげら」のスタンプは車両の一番前と一番後ろのそれぞれに設置されている。その情報を能代駅ホームのお土産屋の女性から聞くやいなや最前列に向かいスタンプを押しておいた。座席に戻るときに前に座っていた、眼鏡で小柄な中年女性一人旅(ピンクのパーカー)の客からどこにスタンプがあるのか聞かれたが、思わず聞かれ終わる前に「一番前にありますよ」と答えていた。詳細は割愛するが、このおばさんとは旅の終盤、新青森駅にて我々がバスから下車し、彼女が残って青森駅まで乗っていくところまで、ほぼ同じルートを辿ることとなる。ちなみに、お土産屋ではバスケットボールのマグネット(能代駅限定)を購入した。また、その前にはあまりにも悔しかったフリースローに「商品は要らないのでもう一度トライさせて下さい」と堀北の真似をして再挑戦したが、ボードにボールが当たったものの、ゴール枠の左側に跳ね返され、成功には至らなかったことも記録しておく。Oの真似をして始めた旅の予習だが、この再挑戦は予習なくしては思いつかず一層強く後悔していただろうと思うと、予習を甘く見てはならんなと思った。
能代駅を出発し、あきた白神駅に到着する。うまく聞き取り損ねたが、ここにはほんの数分しか停車しないようで、正確な時間が分からないことと相まってスタンプを押すのは断念した。しかし、夫と子供を座席に残したお母さんがスタンプの設置場所にピタリと合う列車出入口に待機して一瞬でスタンプを押して戻ってくるのを見て、どの道にもプロがいるものだと感心した。次の岩館駅ではこのプロに付いて行き、無事短時間でスタンプを押すことに成功した。少しのことにも先達はあらまほしき事なり。
忘れてはならないが、この列車はスタンプラリー列車ではなく、あくまでリゾート列車である。岩館駅を過ぎ、電車が日本海沿岸を走る中、Oは風車に興奮の声を上げ、自分はいかにも日本海とでも言いたくなるような、厳めしい岩々の並ぶ海岸線に声を上げていた。こうした風景は決して「風光明媚」とは呼ばれないであろうが、それでも一見には値すると人々に見なされているのであろう、電車はときどきそのような地点に来るとアナウンスとともに速度を下げ、乗客はその風景をあるいは目に焼き付け、あるいは写真や動画に収めているのであった。以前の自分であれば写真はそこそこに、いかに目に焼き付けるかが肝要だと思っていたが、年を取るにつれ記憶力が低下しているのか、写真がないと旅の思い出をうまく再生できないようになっているため、写真や動画を抜かりなく撮っておいた。しかし家に帰りついてそれらを見返しても、その対となるべき記憶がそもそも薄く、再生に若干の困難を来したことから、中庸が大事なのだと改めて思い知らされた。そうこうするうちに十二湖駅に到着した我々は「くまげら」号に別れを告げ、コインロッカーに少々の荷物を預けた上で、バスで散策コースへと向かった。
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