秋田・青森旅行記改め、津軽。【一 出立】
「ね、なぜ旅に出るの?」などと聞かれるまでもなく、むしろ以前より「休職を活かしてどこへでも行ってきたらいい、実家にだって10日とは言わず1か月くらいいればいい」などと言われていた。そればかりか、前日にはごくたわいもないことをきっかけにそれまでのストレスを家族にぶちまけ、いよいよ家にいるよりもさっさと旅に出てしまいたい、できることなら当面帰ってきたくないという気分にさえなっていた。
出立の日は、滅多にない早起きを要求される電車に乗る必要があったが、朝に弱い自分の懸念に反して予定より早起きでき、荷造りも前夜に整えていたため、比較的のんびりと準備した。ちょうど前日だったか、友人から紹介されていたMilesというアプリも導入した。これは、いかなる移動に関してもマイルが貯まるという米国発のアプリで、遠出にあたり都合がいいと、まさにその朝に気付いたのだった。
早朝ということもあり、果たして妻とは顔も合わせぬまま家を出て、無事予定通りの電車に乗り、6:10八重洲中央口でのOとの待ち合わせには余裕をもって到着した。旅の予習教材として図書館より入手していた太宰の『津軽』を読みながらOを待っていると、2ページも読み進まないうちにOが現れた。元ルームメイトOは自分の夫婦不仲と休職についてよく事情を心得ており、もし気分転換にでもなれば、とひと月ほど前にこの旅行に誘ってくれたのだ。Oから準備してもらっていた一連の切符をその場で受け取り、秋田新幹線のホームへと向かった。
太宰ともOとも異なり、自分は東北には縁もゆかりもない。東北方面への新幹線も確か那須あたりに行ったときに一度だけ乗ったくらいで、あとは高校の部活の合宿で秋田までバスで行ったことがある程度である。したがって、今回は生まれて初めての本格的な東北旅行だった。
新幹線に乗って早々、Oは本旅行の形式上の裏テーマである風力発電について資料とともに説明を始めた。彼が仕事で風力発電に携わっているのだ。日頃接する妻子からは聞けない刺激的なテーマでありながら、一通り表面的な話を聞いたら満足してしまった。一方で、あれだけ忙しいOが映画『八甲田山』に加えて『津軽』まで読了していたのには驚いた。確かに彼には妻子もない点で自由な時間があるのには間違いないが、仮に彼と同じだけ持ち時間があったとしてもそこまで予習しきれなかったろうと思う。自分も『津軽』を読み始めていることを知っているOが「まだ読み終わっていなかったのか」と言うので、「読むのが遅いからな」と答えておいた。実際に本を読むのは遅いと思う。この時点までに2-3日合間を縫って読み進めていたが、まだ半分も進んでいなかったように思う。これから向かうのは津軽の西海岸。小説中では最終章で展開される地域で、そもそもこの時点で読み終わっていなければ「予習」としては不合格だ。
かくのごとく盛岡までは最近読んでいる本やマンガ、使用しているアプリなどたわいもない話をしながら、そしてときにめいめい好きなことをしながら最高時速320kmで駆け抜けていった。自分は旅行中に『津軽』を読み切ることを目標とした。妻子との旅行であれば「めいめい好きなことをしながら」というわけにはいかないだろうし、仮にそれが妻とだけであってもその自信はない。昔から「場は一緒だが互いに好きなことをして空気を共有する」ということに(特に男女の)幸せを感じるのが常だったが、いつの頃からか妻との間にその空気はなくなり、加えて無理やりコミュニケーションをとる気遣いをするのにも疲れてしまっている。いや、そもそも初めからそのような空気はなかったのかもしれないが、今の関係性が余計と自分にそう思わせるのだろう。いずれにしても阿吽の呼吸で自分の好きなことができる気の置けない相手は貴重だと改めて感じた。
盛岡を過ぎる。東京から盛岡までは東北新幹線と同じルートであるのに対し、盛岡からは秋田新幹線固有のルートを通る。しかし、盛岡から終点の秋田までは「在来線」を通り、最高時速が130kmへと急激に低下する。このメカニズムはいまだによく分かってないのだが、とにもかくにも東京→盛岡と盛岡→秋田をほぼ同じ時間をかけて進むことになる。そのスピードにお互いひどく退屈しているとふいにOが「あ」と幽かな叫び声を挙げた。聞くとどうやら目薬を忘れたらしい。しかもこれには半ば神経症じみたこだわりがあるようで、家には大量に特定の種類の目薬をストックしているとのことだった。自分はこの手のこだわりにひどく共感する質なのだが、妻にはこれが分からない。仮にこれが自分の忘れ物で、Oが妻だったらば、「そんな目薬ごときにこだわる方が悪い」と糾弾されるであろうとまず思った。一方で、そう考えるのが自分の被害妄想気味なところで、それこそがむしろ妻に糾弾されかねないとも思った。こうして、どちらに転んでも「妻からの糾弾」という嫌なシチュエーションを勝手に自ら展開していると、さすが自分のように吝嗇でないOは秋田での乗り換え時に途中下車をしてその目薬を買うと言う。まずそもそも青森までの乗車券を持っている中で途中下車できるのか、できたところで駅前にすぐドラッグストアがあるのか、そのドラッグストアにお目当ての目薬があるのかといった問いが浮かんだが、いずれも調査や経験則から可能という運びになった。あとはどれだけ秋田にて機敏に動き、乗り換えに間に合わせられるかという話に帰着した。
秋田では赤と青のなまはげのお面に出迎えられた。写真を撮ろうとするとOがわざと写りこんでくる。こういうふざけたところもOのいいところだ。だからこそこちらもリラックスして共に時間を過ごせる。そんな余裕も一瞬見せつつ、駅のインフォメーションセンターや途中の花屋の案内により無事に全国チェーンのドラッグストアで目薬の購入を済ませ、発車時刻のおよそ10分前にはリゾートしらかみ「くまげら」号が待つホームに到着した。リゾートしらかみにはくまげら、青池、橅(ぶな)の3タイプがあるが、「くまげら」号は白神山地に生息するクマゲラと五能線沿線で見られる夕日をイメージした、きれいなオレンジのグラデーションをした車体である。さすが観光列車、電車との記念撮影スポットが設けられている。駅員さんが日付の書いたパネルを渡してくれ、Oと「くまげら」号とのスリーショットを収めてくれた。もちろん無料である。加えて、今回は車内販売がないとのことで、弁当屋も地域の駅弁を持って同じ場所に待機していた。Oは秋田名物「鶏めし」の駅弁を購入していたが、自分は休職による無給の身ゆえ一銭たりとも無駄にしたくないとの思いから、持参していたベースブレッドを昼食代わりにすべく何も買わなかった。
「ね、なぜ旅に出るの?」などと聞かれるまでもなく、むしろ以前より「休職を活かしてどこへでも行ってきたらいい、実家にだって10日とは言わず1か月くらいいればいい」などと言われていた。そればかりか、前日にはごくたわいもないことをきっかけにそれまでのストレスを家族にぶちまけ、いよいよ家にいるよりもさっさと旅に出てしまいたい、できることなら当面帰ってきたくないという気分にさえなっていた。
出立の日は、滅多にない早起きを要求される電車に乗る必要があったが、朝に弱い自分の懸念に反して予定より早起きでき、荷造りも前夜に整えていたため、比較的のんびりと準備した。ちょうど前日だったか、友人から紹介されていたMilesというアプリも導入した。これは、いかなる移動に関してもマイルが貯まるという米国発のアプリで、遠出にあたり都合がいいと、まさにその朝に気付いたのだった。
早朝ということもあり、果たして妻とは顔も合わせぬまま家を出て、無事予定通りの電車に乗り、6:10八重洲中央口でのOとの待ち合わせには余裕をもって到着した。旅の予習教材として図書館より入手していた太宰の『津軽』を読みながらOを待っていると、2ページも読み進まないうちにOが現れた。元ルームメイトOは自分の夫婦不仲と休職についてよく事情を心得ており、もし気分転換にでもなれば、とひと月ほど前にこの旅行に誘ってくれたのだ。Oから準備してもらっていた一連の切符をその場で受け取り、秋田新幹線のホームへと向かった。
太宰ともOとも異なり、自分は東北には縁もゆかりもない。東北方面への新幹線も確か那須あたりに行ったときに一度だけ乗ったくらいで、あとは高校の部活の合宿で秋田までバスで行ったことがある程度である。したがって、今回は生まれて初めての本格的な東北旅行だった。
新幹線に乗って早々、Oは本旅行の形式上の裏テーマである風力発電について資料とともに説明を始めた。彼が仕事で風力発電に携わっているのだ。日頃接する妻子からは聞けない刺激的なテーマでありながら、一通り表面的な話を聞いたら満足してしまった。一方で、あれだけ忙しいOが映画『八甲田山』に加えて『津軽』まで読了していたのには驚いた。確かに彼には妻子もない点で自由な時間があるのには間違いないが、仮に彼と同じだけ持ち時間があったとしてもそこまで予習しきれなかったろうと思う。自分も『津軽』を読み始めていることを知っているOが「まだ読み終わっていなかったのか」と言うので、「読むのが遅いからな」と答えておいた。実際に本を読むのは遅いと思う。この時点までに2-3日合間を縫って読み進めていたが、まだ半分も進んでいなかったように思う。これから向かうのは津軽の西海岸。小説中では最終章で展開される地域で、そもそもこの時点で読み終わっていなければ「予習」としては不合格だ。
かくのごとく盛岡までは最近読んでいる本やマンガ、使用しているアプリなどたわいもない話をしながら、そしてときにめいめい好きなことをしながら最高時速320kmで駆け抜けていった。自分は旅行中に『津軽』を読み切ることを目標とした。妻子との旅行であれば「めいめい好きなことをしながら」というわけにはいかないだろうし、仮にそれが妻とだけであってもその自信はない。昔から「場は一緒だが互いに好きなことをして空気を共有する」ということに(特に男女の)幸せを感じるのが常だったが、いつの頃からか妻との間にその空気はなくなり、加えて無理やりコミュニケーションをとる気遣いをするのにも疲れてしまっている。いや、そもそも初めからそのような空気はなかったのかもしれないが、今の関係性が余計と自分にそう思わせるのだろう。いずれにしても阿吽の呼吸で自分の好きなことができる気の置けない相手は貴重だと改めて感じた。
盛岡を過ぎる。東京から盛岡までは東北新幹線と同じルートであるのに対し、盛岡からは秋田新幹線固有のルートを通る。しかし、盛岡から終点の秋田までは「在来線」を通り、最高時速が130kmへと急激に低下する。このメカニズムはいまだによく分かってないのだが、とにもかくにも東京→盛岡と盛岡→秋田をほぼ同じ時間をかけて進むことになる。そのスピードにお互いひどく退屈しているとふいにOが「あ」と幽かな叫び声を挙げた。聞くとどうやら目薬を忘れたらしい。しかもこれには半ば神経症じみたこだわりがあるようで、家には大量に特定の種類の目薬をストックしているとのことだった。自分はこの手のこだわりにひどく共感する質なのだが、妻にはこれが分からない。仮にこれが自分の忘れ物で、Oが妻だったらば、「そんな目薬ごときにこだわる方が悪い」と糾弾されるであろうとまず思った。一方で、そう考えるのが自分の被害妄想気味なところで、それこそがむしろ妻に糾弾されかねないとも思った。こうして、どちらに転んでも「妻からの糾弾」という嫌なシチュエーションを勝手に自ら展開していると、さすが自分のように吝嗇でないOは秋田での乗り換え時に途中下車をしてその目薬を買うと言う。まずそもそも青森までの乗車券を持っている中で途中下車できるのか、できたところで駅前にすぐドラッグストアがあるのか、そのドラッグストアにお目当ての目薬があるのかといった問いが浮かんだが、いずれも調査や経験則から可能という運びになった。あとはどれだけ秋田にて機敏に動き、乗り換えに間に合わせられるかという話に帰着した。
秋田では赤と青のなまはげのお面に出迎えられた。写真を撮ろうとするとOがわざと写りこんでくる。こういうふざけたところもOのいいところだ。だからこそこちらもリラックスして共に時間を過ごせる。そんな余裕も一瞬見せつつ、駅のインフォメーションセンターや途中の花屋の案内により無事に全国チェーンのドラッグストアで目薬の購入を済ませ、発車時刻のおよそ10分前にはリゾートしらかみ「くまげら」号が待つホームに到着した。リゾートしらかみにはくまげら、青池、橅(ぶな)の3タイプがあるが、「くまげら」号は白神山地に生息するクマゲラと五能線沿線で見られる夕日をイメージした、きれいなオレンジのグラデーションをした車体である。さすが観光列車、電車との記念撮影スポットが設けられている。駅員さんが日付の書いたパネルを渡してくれ、Oと「くまげら」号とのスリーショットを収めてくれた。もちろん無料である。加えて、今回は車内販売がないとのことで、弁当屋も地域の駅弁を持って同じ場所に待機していた。Oは秋田名物「鶏めし」の駅弁を購入していたが、自分は休職による無給の身ゆえ一銭たりとも無駄にしたくないとの思いから、持参していたベースブレッドを昼食代わりにすべく何も買わなかった。
コメント