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10/1
・夢。ビジネススクールの同級生と旅行。楽しそうかと思いきや、バスのメンツを見ると知ってる人はごく少数で、どうやらプログラム横断なせいでそんなことになったっぽい。大丈夫かよこれとか思いながら宿にいつの間にかついてて、何となく日本チックで、既に布団が床に敷いてあって雑魚寝状態。これプライバシーも何もあったもんじゃないなと思いつつ、アメリカ版だか韓国版だかよく分からないパワプロがあったので、坊主の方の日本人同級生とプレイ。テレビは昔の一人暮らし用的な小ぶりのブラウン管っぽい形状。一見パワプロなのだが、ホームラン打ったときとかちょくちょくエフェクトが日本版と異なっており、何となく違和感を抱いた。しかもパワプロかと思ったのに、結局出てくるキャラは普通の人間の形だったりもしたし。で、1人か2人ほどそのゲームの様子を見てた同級生もいた気がするけど、日中だけど日が入りにくいのか部屋は全体的にうす暗くだだっ広くて、布団が敷かれていて、他の人たちは外に出ていたんだと思う。近くにビーチがあったような感覚が残っている。そんなゴージャスなものじゃなくて普通の砂浜海岸的な。
特に楽しかった覚えはなく、むしろ不安の方が強かったが、一緒にいた日本人同級生のおかげで一定安心できていた気はする。
・ギリギリ思い出して森川さんラストを確認。もっと(時間を)貢いでおけばよかった。それにしてもプロ野球選手全然分かんねえ…(定例)
・ハムの高濱がファースト守ってて「??!」となるなど。高校時代しか知らん。
・何てったって(高校のときから一方的に知ってる)T明さんが母親になってる世界線だからな…
・森川さんの英語を聞いて、少しだけ英語学習へのやる気が戻った。そろそろ再開するかなあ
・プロでの活躍できなさは同じ早実の荒木大輔感ある。そういう意味では愛甲猛→マーくん。 --- 日本ハム・斎藤佑樹が今季限りで引退「最高の仲間とプレーすることができて幸せでした」 (ベースボールキング - 10月01日 11:20)
・一時金がない中で、これは小室の粘り勝ちと言えるのだろうか…眞子さまがNYで何か仕事をするのかも気になる。結婚はあくまでスタートなわけで、誰かみたいにあっという間に不和になってもウケる。とりあえず26日の会見が楽しみ。 --- 眞子さまと小室圭さん、26日結婚へ 年内に米国で新生活 宮内庁 (朝日新聞デジタル - 10月01日 14:10)
10/2
・(今日の夢の話をする前に少し長めの前振りを書こうかと思う。例のごとく推敲しないまま書くので流れやリズムに違和感があろうことはご容赦いただきたい。)自分はどこか暗闇が好きなところがある。お化け屋敷のワクワクや映画館のドキドキもそうだし、寝る前から起きた後までの日の光の入らない、まどろみの時間もそうだ。
AM6時前。今朝の目覚めた時間だ。起きた後に気付いたのだが、寝室の雨戸を完全に閉めきるのを忘れてしまっていた。最近殊に朝の光に敏感で、雨戸から漏れてくる朝日によって目が覚めてしまう。しまった、閉め忘れた、と今日も思った。完全に一人暮らしなら、わざわざ朝になったときに寝室の雨戸など明けやしないのだ。どうせ日中は使わない部屋なのに、雨戸を開け、空気の入れ換えをし、寝る段になったら寝るためだけにその逆再生をする、ということの意味がよくわからないからだ。わざわざ雨戸を開けたり空気の入れ換えをしたりしなければ、自分にありがちな「プロセスの漏れ」も避けられ、余分な脳内リソースも使わずにすみ、快眠を得られる可能性が上がるわけだ。しかし今は小姑的な妻が逐一とやかく言うために「リフトで登って滑降し、またリフトで登る」という、「ただの位置エネルギーの変換」みたいなことを、なけなしの脳内リソースに負担をかけながら行い、ときに雨戸を閉め忘れ、起きる意味のないAM6時前に目が覚めてしまう。
確実に二度寝したいがために自らを一瞬朝日に晒してでも雨戸を閉めつつ、その願いと明らかに矛盾する形でこのようにメモを打ち続けているのは、その一連の動きと今朝の夢を記さんためだ。
夢。そこは大きな木造の建物で、職人風の労働者たちでごった返していた。ざっと200人は入るだろうか、どうやら大きなラーメン屋であるようだ。その客層や雰囲気から察するに、味のよさでこれだけ巨大化しているというよりは、その職人たちの貴重な食事場所という位置付けでこの規模を維持しているように思われる。自分はそこに入るために2人の男女と並んでいた。一人はAという高校のクラスメイト、もう一人は仮にQとしておこう。行列の時間はさほど長くなかったように感じられたが、夢では往々にして時間軸は捨象されるのでよく分からない。
行列の風景やその間の自分たちの様子はあまり記憶にないが、自分、A、Qの順でタイミングをずらして店内に入っていった。ラーメン屋というよりも大きな木造の小屋と呼ぶ方がイメージに合うが、そこに入ったときにはピーク時間が過ぎていたのか、職人でごった返していたはずの店内はがらんとしており、自分の席からは向かい合わせて20人×2ほど座れそうな長机が見え、そのような長机の2つ目、店の奥から1/3くらいのところに座った。次いでAが自分から2席ほど明けて左に、Qが更に遠くに座席を確保した。タイミングをずらして入店した割には、そして離れて座席を確保した割には、店内ががらんとしていたせいだろうか、コミュニケーションはとれていて、3人同時に自分が代表して注文をする。ラーメンが来るのを待つ間、比較的近い席であるにもかかわらず、Aとは特に談笑はしない。QはQで何か落ち着かないのだろうか、自分の席から見える古ぼけた木製の長机の更に奥、壁にへばりつくように置かれていた、同様に古ぼけた長机の上のラーメン(なのか、ひょっとすると見本なのか)をじっと見たり、位置を勝手に変えたりしながら、何か思考錯誤をしているように見えた。壁にはありがちなビール屋のポスターや紙製の品札が貼ってあったように思う。天井はかなり高く、スキー場などにありそうな建物の雰囲気の様相も少々呈している。
そんなQを何となしに眺めているうちに、果たしてラーメンが到着し、食べ進める中で、自分には珍しくこれでは腹が満たされないと判断し、替え玉を頼もうと思った。替え玉のときのための具も残しておくのがよかろうと思い、少々もやしなどの野菜を残したまま替え玉と追加のチャーシューを注文。Aも同様に何かを頼んだらしかった。
しばらくすると小屋の雰囲気に似つかわしくない、スーツを着た40代くらいの男性が替え玉等を持ってきたのだが、自分の丼を見るなり、まだ中身が残っている人には替え玉は出せない。きちんと食べてから注文するのがマナーだと言ったニュアンスの発言を宣う。イラッとしたがやむ無くもやしらを食べきってようやく替え玉とチャーシューを手に入れるに至った。そうするうちに漏れ入ってきた朝日に導かれ、時計はAM5:44を示していたというわけだ。
小姑めいた妻と、その「付属品」(というと言い過ぎだが)である息子との生活を再開して数日が経つが思っていたほど悪くはない。少なくとも表面上は穏便に暮らせているし、残体力が限られている中、家事育児に少しでも多く貢献して関係の再構築に努めるのがスジだろうという「世間一般でよく言われているだろう」仮説の基、そのように動いている(が、3日目にしてダウンして午前中まるまる睡眠に費やしたりもした)。それはそれで大きな違和感はない。
顔馴染みのカイロプラクターも以前から「仕事は代えがきくが、家族はそうではない」と言っているし、最近相談を始めた転職エージェントの一人もそのように明言していた。しかしながらいまだに自分の中ではそれが腹落ちしきっていない。今の表面上取り繕った生活に大きな違和感があるわけではない。一方で、(希望的観測として「口先だけ」にも見えるが)「気持ちは切れてしまった」と敢えて面と向かって伝えてくる妻のために自分がしていること、あるいはしようとしていることが本当に将来に向かって自分ないし「家族」という不確かなコミュニティに正の影響をもたらすのかに一定以上の確信が持てないでいるということだ。
そして自分はQという「白馬の王子様」を待っているのだということを、夢を通じて再認識せずにはいられなかった。Qはこれまでにも幾度となく夢に出てきたし、今では(主観的には)少し不自然な形で疎遠になってしまったが、比較的最近まで現実世界でも交流があり、いくつものあたたかな思い出がある。夢の中でQとは一言も交わさなかったかったが、それはそれでどこか希望を孕んだ時間だったように思うし、冒頭、暗闇について書きながら、それに紐付く卒業式の思い出、そこでは言葉こそあまり交わさなかったが、「一方的に」心が通じ合った感覚と幸福感を抱いていた、その点において今日の夢では相互感覚に対する主観は欠いていて、ある種現実の写し鏡であるようだが、一定の希望感(<幸福感)を抱けていた点においては相似的な感覚もないではない、などもフラッシュバックしてきた。どういうきっかけ、どういう生活・心境の変化で今のように疎遠になってしまったのか、思い当たる節がないでもないし、それはこちらの考えすぎなのかもしれないし、Qについては結局分からないだらけのまま今日に至るわけなのだが、一つ言えることはもし仮にQと必要以上に親密になっていたらば、ほぼ間違いなく今の妻と同様に、関係性を滅ぼしていただろうということで、その意味では謎が謎のままでよかったのだという風に捉えている。あくまでもラーメンの並べ直しの理由を問い質すような野暮な真似はしなくてよかったのだということだ。
そして謎が謎のままであるからこそ、自分はQを「白馬の王子様」の(あくまで単に表象=representative)として見なしているのではないかとも思われる。Qが自分のこれまでの人生に与えた影響ははかり知れないものの、それをここで書き尽くすことはあまりにもふさわしくないと思われるのでこの程度にしておくが、いるかいないか分からない白馬の王子様なる偶像を思いながら、実現性が不確かな二度寝をこれから試みようと思う。次の夢では誰が出てくるのだろうか。AM7:19。
・愚かにも1時間超かけてこんなもの書いて二度寝のタイミングを未必の故意により逸し、もはや寝不足による頭痛まで呈してきそうな勢いだが、思い付いたらメモしておかずにはいられないので書いておくと、コミュニケーションスタイルの幅を広く持っておくのは大事、という話。「アメとムチ」などはその分かりやすい例かと思うが、妻は(少なくとも近しい人間に対して)「思いやり」「気遣い」というスタイルでの接し方しか使いこなせていないのではないか、それが時に受け手たる自分には理由のない過干渉に映るのではないか。他人のことばかり分析して、往々にして悪く言う癖は改めた方がいいとの先日の友人からの指摘は実に尤もで、以来日頃から心に留めているが、そういう意味では自分はどうなのかも省みる必要があると思われつつ、とりあえずここまでメモして再度入眠を試みる。その前にもう1点だけ書き留めると、改めて、ということでもあるが、コミュニケーションとは幸か不幸か所詮は主観の総体であり、真に心が通じ合うことは原理的にはない(と書くとあまりに悲観的だろうか?)。大事なのは通じ合っているかのような感覚を互いに得られているかどうかであり、それを「真に通じている」と勘違いすると色々な厄介が生じると思う。傍論ではあるが、その点において、相手に悪影響を及ぼさない限りでは、自分で勝手に「相手に心が通じているように思える」と感じたり「相手の心が自分に通じているように思える」と思うのは個人の自由だし、逆(通じていないと思う)も然りかと。
・寝付けないついでに(待ってりゃ寝付けそうだが思い付いたので)、こんなことをこんなところに書くのもどうかと思いつつ敢えて書くと、「愛し合っていたら『すること』はする」という命題が真だとすると、その対偶たる「『すること』をしないならば愛し合ってはいない」というのも真ということになり、レスの夫婦っていうのは何らかの事情がない限り原理的に理解不能。なーんてことに定期的に思いを巡らせているヨセフみたいな輩がこちら。まあ最初の命題が真じゃないってだけなんだろうけど。あとは愛し合ってなくても夫婦関係は成立するってことか。入籍以来一度もしていないのに子どもがいるのって処女懐胎なの?!っていうのと同じように前提が間違っている。
・そして無事に二度寝できたとともに、見事に予定を寝ブッチ(なつい響き)しましたとさ。なぜ目覚ましかけなかった…?最近のペースなら余裕で起きてると思ったから。でもファクトベースでそんなことねえだろっていう…馬鹿すぎた。
・夢。ビジネススクールの同級生と旅行。楽しそうかと思いきや、バスのメンツを見ると知ってる人はごく少数で、どうやらプログラム横断なせいでそんなことになったっぽい。大丈夫かよこれとか思いながら宿にいつの間にかついてて、何となく日本チックで、既に布団が床に敷いてあって雑魚寝状態。これプライバシーも何もあったもんじゃないなと思いつつ、アメリカ版だか韓国版だかよく分からないパワプロがあったので、坊主の方の日本人同級生とプレイ。テレビは昔の一人暮らし用的な小ぶりのブラウン管っぽい形状。一見パワプロなのだが、ホームラン打ったときとかちょくちょくエフェクトが日本版と異なっており、何となく違和感を抱いた。しかもパワプロかと思ったのに、結局出てくるキャラは普通の人間の形だったりもしたし。で、1人か2人ほどそのゲームの様子を見てた同級生もいた気がするけど、日中だけど日が入りにくいのか部屋は全体的にうす暗くだだっ広くて、布団が敷かれていて、他の人たちは外に出ていたんだと思う。近くにビーチがあったような感覚が残っている。そんなゴージャスなものじゃなくて普通の砂浜海岸的な。
特に楽しかった覚えはなく、むしろ不安の方が強かったが、一緒にいた日本人同級生のおかげで一定安心できていた気はする。
・ギリギリ思い出して森川さんラストを確認。もっと(時間を)貢いでおけばよかった。それにしてもプロ野球選手全然分かんねえ…(定例)
・ハムの高濱がファースト守ってて「??!」となるなど。高校時代しか知らん。
・何てったって(高校のときから一方的に知ってる)T明さんが母親になってる世界線だからな…
・森川さんの英語を聞いて、少しだけ英語学習へのやる気が戻った。そろそろ再開するかなあ
・プロでの活躍できなさは同じ早実の荒木大輔感ある。そういう意味では愛甲猛→マーくん。 --- 日本ハム・斎藤佑樹が今季限りで引退「最高の仲間とプレーすることができて幸せでした」 (ベースボールキング - 10月01日 11:20)
・一時金がない中で、これは小室の粘り勝ちと言えるのだろうか…眞子さまがNYで何か仕事をするのかも気になる。結婚はあくまでスタートなわけで、誰かみたいにあっという間に不和になってもウケる。とりあえず26日の会見が楽しみ。 --- 眞子さまと小室圭さん、26日結婚へ 年内に米国で新生活 宮内庁 (朝日新聞デジタル - 10月01日 14:10)
10/2
・(今日の夢の話をする前に少し長めの前振りを書こうかと思う。例のごとく推敲しないまま書くので流れやリズムに違和感があろうことはご容赦いただきたい。)自分はどこか暗闇が好きなところがある。お化け屋敷のワクワクや映画館のドキドキもそうだし、寝る前から起きた後までの日の光の入らない、まどろみの時間もそうだ。
AM6時前。今朝の目覚めた時間だ。起きた後に気付いたのだが、寝室の雨戸を完全に閉めきるのを忘れてしまっていた。最近殊に朝の光に敏感で、雨戸から漏れてくる朝日によって目が覚めてしまう。しまった、閉め忘れた、と今日も思った。完全に一人暮らしなら、わざわざ朝になったときに寝室の雨戸など明けやしないのだ。どうせ日中は使わない部屋なのに、雨戸を開け、空気の入れ換えをし、寝る段になったら寝るためだけにその逆再生をする、ということの意味がよくわからないからだ。わざわざ雨戸を開けたり空気の入れ換えをしたりしなければ、自分にありがちな「プロセスの漏れ」も避けられ、余分な脳内リソースも使わずにすみ、快眠を得られる可能性が上がるわけだ。しかし今は小姑的な妻が逐一とやかく言うために「リフトで登って滑降し、またリフトで登る」という、「ただの位置エネルギーの変換」みたいなことを、なけなしの脳内リソースに負担をかけながら行い、ときに雨戸を閉め忘れ、起きる意味のないAM6時前に目が覚めてしまう。
確実に二度寝したいがために自らを一瞬朝日に晒してでも雨戸を閉めつつ、その願いと明らかに矛盾する形でこのようにメモを打ち続けているのは、その一連の動きと今朝の夢を記さんためだ。
夢。そこは大きな木造の建物で、職人風の労働者たちでごった返していた。ざっと200人は入るだろうか、どうやら大きなラーメン屋であるようだ。その客層や雰囲気から察するに、味のよさでこれだけ巨大化しているというよりは、その職人たちの貴重な食事場所という位置付けでこの規模を維持しているように思われる。自分はそこに入るために2人の男女と並んでいた。一人はAという高校のクラスメイト、もう一人は仮にQとしておこう。行列の時間はさほど長くなかったように感じられたが、夢では往々にして時間軸は捨象されるのでよく分からない。
行列の風景やその間の自分たちの様子はあまり記憶にないが、自分、A、Qの順でタイミングをずらして店内に入っていった。ラーメン屋というよりも大きな木造の小屋と呼ぶ方がイメージに合うが、そこに入ったときにはピーク時間が過ぎていたのか、職人でごった返していたはずの店内はがらんとしており、自分の席からは向かい合わせて20人×2ほど座れそうな長机が見え、そのような長机の2つ目、店の奥から1/3くらいのところに座った。次いでAが自分から2席ほど明けて左に、Qが更に遠くに座席を確保した。タイミングをずらして入店した割には、そして離れて座席を確保した割には、店内ががらんとしていたせいだろうか、コミュニケーションはとれていて、3人同時に自分が代表して注文をする。ラーメンが来るのを待つ間、比較的近い席であるにもかかわらず、Aとは特に談笑はしない。QはQで何か落ち着かないのだろうか、自分の席から見える古ぼけた木製の長机の更に奥、壁にへばりつくように置かれていた、同様に古ぼけた長机の上のラーメン(なのか、ひょっとすると見本なのか)をじっと見たり、位置を勝手に変えたりしながら、何か思考錯誤をしているように見えた。壁にはありがちなビール屋のポスターや紙製の品札が貼ってあったように思う。天井はかなり高く、スキー場などにありそうな建物の雰囲気の様相も少々呈している。
そんなQを何となしに眺めているうちに、果たしてラーメンが到着し、食べ進める中で、自分には珍しくこれでは腹が満たされないと判断し、替え玉を頼もうと思った。替え玉のときのための具も残しておくのがよかろうと思い、少々もやしなどの野菜を残したまま替え玉と追加のチャーシューを注文。Aも同様に何かを頼んだらしかった。
しばらくすると小屋の雰囲気に似つかわしくない、スーツを着た40代くらいの男性が替え玉等を持ってきたのだが、自分の丼を見るなり、まだ中身が残っている人には替え玉は出せない。きちんと食べてから注文するのがマナーだと言ったニュアンスの発言を宣う。イラッとしたがやむ無くもやしらを食べきってようやく替え玉とチャーシューを手に入れるに至った。そうするうちに漏れ入ってきた朝日に導かれ、時計はAM5:44を示していたというわけだ。
小姑めいた妻と、その「付属品」(というと言い過ぎだが)である息子との生活を再開して数日が経つが思っていたほど悪くはない。少なくとも表面上は穏便に暮らせているし、残体力が限られている中、家事育児に少しでも多く貢献して関係の再構築に努めるのがスジだろうという「世間一般でよく言われているだろう」仮説の基、そのように動いている(が、3日目にしてダウンして午前中まるまる睡眠に費やしたりもした)。それはそれで大きな違和感はない。
顔馴染みのカイロプラクターも以前から「仕事は代えがきくが、家族はそうではない」と言っているし、最近相談を始めた転職エージェントの一人もそのように明言していた。しかしながらいまだに自分の中ではそれが腹落ちしきっていない。今の表面上取り繕った生活に大きな違和感があるわけではない。一方で、(希望的観測として「口先だけ」にも見えるが)「気持ちは切れてしまった」と敢えて面と向かって伝えてくる妻のために自分がしていること、あるいはしようとしていることが本当に将来に向かって自分ないし「家族」という不確かなコミュニティに正の影響をもたらすのかに一定以上の確信が持てないでいるということだ。
そして自分はQという「白馬の王子様」を待っているのだということを、夢を通じて再認識せずにはいられなかった。Qはこれまでにも幾度となく夢に出てきたし、今では(主観的には)少し不自然な形で疎遠になってしまったが、比較的最近まで現実世界でも交流があり、いくつものあたたかな思い出がある。夢の中でQとは一言も交わさなかったかったが、それはそれでどこか希望を孕んだ時間だったように思うし、冒頭、暗闇について書きながら、それに紐付く卒業式の思い出、そこでは言葉こそあまり交わさなかったが、「一方的に」心が通じ合った感覚と幸福感を抱いていた、その点において今日の夢では相互感覚に対する主観は欠いていて、ある種現実の写し鏡であるようだが、一定の希望感(<幸福感)を抱けていた点においては相似的な感覚もないではない、などもフラッシュバックしてきた。どういうきっかけ、どういう生活・心境の変化で今のように疎遠になってしまったのか、思い当たる節がないでもないし、それはこちらの考えすぎなのかもしれないし、Qについては結局分からないだらけのまま今日に至るわけなのだが、一つ言えることはもし仮にQと必要以上に親密になっていたらば、ほぼ間違いなく今の妻と同様に、関係性を滅ぼしていただろうということで、その意味では謎が謎のままでよかったのだという風に捉えている。あくまでもラーメンの並べ直しの理由を問い質すような野暮な真似はしなくてよかったのだということだ。
そして謎が謎のままであるからこそ、自分はQを「白馬の王子様」の(あくまで単に表象=representative)として見なしているのではないかとも思われる。Qが自分のこれまでの人生に与えた影響ははかり知れないものの、それをここで書き尽くすことはあまりにもふさわしくないと思われるのでこの程度にしておくが、いるかいないか分からない白馬の王子様なる偶像を思いながら、実現性が不確かな二度寝をこれから試みようと思う。次の夢では誰が出てくるのだろうか。AM7:19。
・愚かにも1時間超かけてこんなもの書いて二度寝のタイミングを未必の故意により逸し、もはや寝不足による頭痛まで呈してきそうな勢いだが、思い付いたらメモしておかずにはいられないので書いておくと、コミュニケーションスタイルの幅を広く持っておくのは大事、という話。「アメとムチ」などはその分かりやすい例かと思うが、妻は(少なくとも近しい人間に対して)「思いやり」「気遣い」というスタイルでの接し方しか使いこなせていないのではないか、それが時に受け手たる自分には理由のない過干渉に映るのではないか。他人のことばかり分析して、往々にして悪く言う癖は改めた方がいいとの先日の友人からの指摘は実に尤もで、以来日頃から心に留めているが、そういう意味では自分はどうなのかも省みる必要があると思われつつ、とりあえずここまでメモして再度入眠を試みる。その前にもう1点だけ書き留めると、改めて、ということでもあるが、コミュニケーションとは幸か不幸か所詮は主観の総体であり、真に心が通じ合うことは原理的にはない(と書くとあまりに悲観的だろうか?)。大事なのは通じ合っているかのような感覚を互いに得られているかどうかであり、それを「真に通じている」と勘違いすると色々な厄介が生じると思う。傍論ではあるが、その点において、相手に悪影響を及ぼさない限りでは、自分で勝手に「相手に心が通じているように思える」と感じたり「相手の心が自分に通じているように思える」と思うのは個人の自由だし、逆(通じていないと思う)も然りかと。
・寝付けないついでに(待ってりゃ寝付けそうだが思い付いたので)、こんなことをこんなところに書くのもどうかと思いつつ敢えて書くと、「愛し合っていたら『すること』はする」という命題が真だとすると、その対偶たる「『すること』をしないならば愛し合ってはいない」というのも真ということになり、レスの夫婦っていうのは何らかの事情がない限り原理的に理解不能。なーんてことに定期的に思いを巡らせているヨセフみたいな輩がこちら。まあ最初の命題が真じゃないってだけなんだろうけど。あとは愛し合ってなくても夫婦関係は成立するってことか。入籍以来一度もしていないのに子どもがいるのって処女懐胎なの?!っていうのと同じように前提が間違っている。
・そして無事に二度寝できたとともに、見事に予定を寝ブッチ(なつい響き)しましたとさ。なぜ目覚ましかけなかった…?最近のペースなら余裕で起きてると思ったから。でもファクトベースでそんなことねえだろっていう…馬鹿すぎた。
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