親しくなりたいからこそ親しくならないように気を付ける癖がすっかりついてしまっていた私がKをKとして認知したのが一体どのタイミングだったのか、今となっては先後関係を明確に記憶してはいない。私は驚くべきことに、そして幸か不幸か、無事に(?)社会人となっており、良くも悪くも無難な会社員生活を送っていた。3年間都内の本社で勤務した後、4年目・5年目は地方で勤務していた。Kを知ったのはその地方勤務の時期であるのは間違いない。ただ、4年目だったのか、5年目だったのかは定かではない。更に言えば、先に写真で認知したのか、本人を見て認知したのが先だったのか、その記憶も曖昧である。今となってはそれを確かめることなど一層不毛であろう。ただ、ただひたすらに想い出を連ねることが私にとって救いとなるのであれば、裸の手掛かりを裸の手掛かりのままとして、まとめてみたい。
まず、新入社員の顔写真は入社年度の夏頃の社内報に掲載され、全社員に配布・閲覧されることとなる。ただそれなりの人数がいること、新入社員然としたあまり興味のそそらない写真が多いことなどから、余程のことがない限り記憶に残ることはない。私の2年後輩であるKが仮にそこで目立ったのであれば、私が地方へ異動する前の3年目にKを認識するはずであるが、手元にある社内報に掲載されたKの写真は、あまり記憶に残らない類の写真である。上で「地方勤務の時期であるのは間違いない」としたのはそのためである。
私が勤務していたのは中部地方のちょっとした地方都市であるが、Kが初任地として配属されたのは九州の某地方都市である。このことからわかる通り、私とKとの間には通常であれば特段の接点はこの時点ではないはずである。ただし、私が社会人4-5年目で担当した業務とKが2-3年目で担当した業務は重複しており、この2年間、同一の集合研修を数回経験することになる。少なくとも私は、最後の集合研修までのどこかのタイミングでKをKとして認識していた。メンバーを入れ替えつつ時折行われるグループワークで一緒になったこともあるはずである。Kはそんな記憶はないと言っていたが、私はむしろ確信がある。曖昧な記憶を辿る限り、私はKとともにグループワークをする前にKをKとして認識していたと思われる。グループが発表されたときに、「ああ、一緒なんだ」と思ったような気がするからだ。この集合研修に集まる人の数は決して少なくはない。同じ業務を担当する人間は同じオフィスでも複数人おり、その業務を担当するのが1年目のものだけ集められるとは言え、それが全国から集まるのだ。
・・・ここまで書いてわかったことがある。おそらく4年目の時点で私はKを認識していた。ただ、これが分かったところでKに伝える術ももはやないと言っていいだろう。夢や白昼夢で伝えるほかない。
話を戻す。それだけ大勢の社員が集められるにも関わらず私がKを認識していたのにはいくつかの訳がある。一つには、私はそもそも人の顔を分別して記憶するのが唯一の特技とも言えるほど人一倍得意であること。二つには、Kがその場ー地方での営業人材が集合する場ーに似つかわしくない風貌をしていたこと。そして最後に、私がKのことをその場の誰よりも愛らしいと思ったことである。小柄で華奢で、丸顔・童顔で心持ち素朴ながらも、綺麗な二重まぶたをした、洗練され、落ち着きのある顔だち。髪は落ち着いた茶色で、既に当時からウェーブがかかっていたものと記憶している。
小柄・華奢・丸顔・童顔というのは、初めての彼女と同じ特徴なのである。
Kは私の同期と同じところで勤務していた。その同期ともう一人本州最北端で働いていた同期、そして私の3人は、この経験の浅さでは珍しく、とある別の業務を担当していた。
(つまり私は集合研修対象の業務とその別の業務の2つを兼務していたのである。これは全国的に見ても珍しいことだった。)
その事実を梃として、私はグループワークが終わった後、Kに話しかけようかどうしようか思案していた。その研修対象ではない方の業務1年目の私はその同期がどのような働きぶりなのか気になっていたのが3割、その同期とはほとんど話したことがないのでヒアリングするのは文脈として不自然ではないかというのがマイナス1割、そしてKと親しくなってみたいという思いが8割である。
まず、新入社員の顔写真は入社年度の夏頃の社内報に掲載され、全社員に配布・閲覧されることとなる。ただそれなりの人数がいること、新入社員然としたあまり興味のそそらない写真が多いことなどから、余程のことがない限り記憶に残ることはない。私の2年後輩であるKが仮にそこで目立ったのであれば、私が地方へ異動する前の3年目にKを認識するはずであるが、手元にある社内報に掲載されたKの写真は、あまり記憶に残らない類の写真である。上で「地方勤務の時期であるのは間違いない」としたのはそのためである。
私が勤務していたのは中部地方のちょっとした地方都市であるが、Kが初任地として配属されたのは九州の某地方都市である。このことからわかる通り、私とKとの間には通常であれば特段の接点はこの時点ではないはずである。ただし、私が社会人4-5年目で担当した業務とKが2-3年目で担当した業務は重複しており、この2年間、同一の集合研修を数回経験することになる。少なくとも私は、最後の集合研修までのどこかのタイミングでKをKとして認識していた。メンバーを入れ替えつつ時折行われるグループワークで一緒になったこともあるはずである。Kはそんな記憶はないと言っていたが、私はむしろ確信がある。曖昧な記憶を辿る限り、私はKとともにグループワークをする前にKをKとして認識していたと思われる。グループが発表されたときに、「ああ、一緒なんだ」と思ったような気がするからだ。この集合研修に集まる人の数は決して少なくはない。同じ業務を担当する人間は同じオフィスでも複数人おり、その業務を担当するのが1年目のものだけ集められるとは言え、それが全国から集まるのだ。
・・・ここまで書いてわかったことがある。おそらく4年目の時点で私はKを認識していた。ただ、これが分かったところでKに伝える術ももはやないと言っていいだろう。夢や白昼夢で伝えるほかない。
話を戻す。それだけ大勢の社員が集められるにも関わらず私がKを認識していたのにはいくつかの訳がある。一つには、私はそもそも人の顔を分別して記憶するのが唯一の特技とも言えるほど人一倍得意であること。二つには、Kがその場ー地方での営業人材が集合する場ーに似つかわしくない風貌をしていたこと。そして最後に、私がKのことをその場の誰よりも愛らしいと思ったことである。小柄で華奢で、丸顔・童顔で心持ち素朴ながらも、綺麗な二重まぶたをした、洗練され、落ち着きのある顔だち。髪は落ち着いた茶色で、既に当時からウェーブがかかっていたものと記憶している。
小柄・華奢・丸顔・童顔というのは、初めての彼女と同じ特徴なのである。
Kは私の同期と同じところで勤務していた。その同期ともう一人本州最北端で働いていた同期、そして私の3人は、この経験の浅さでは珍しく、とある別の業務を担当していた。
(つまり私は集合研修対象の業務とその別の業務の2つを兼務していたのである。これは全国的に見ても珍しいことだった。)
その事実を梃として、私はグループワークが終わった後、Kに話しかけようかどうしようか思案していた。その研修対象ではない方の業務1年目の私はその同期がどのような働きぶりなのか気になっていたのが3割、その同期とはほとんど話したことがないのでヒアリングするのは文脈として不自然ではないかというのがマイナス1割、そしてKと親しくなってみたいという思いが8割である。
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