前回のここの日記の更新は日本時間の5/27、現地時間5/26夜だったようだ。
ここ数年は別の場所に「つぶやき」貯めた言葉を、過去からの一貫性を意識してここに転記するだけとなっていた。
前回の書き込みも2016年10月をかき集めただけの、言ってみればただの「(私の)まとめサイト」である。
奇遇にも、前回の書き込みをした翌朝から、私の世界は「ぐらり」とゆらぐようにして変わってしまった。半年経った今でも心の整理が一向につかないでいるし、ひょっとしたらひどくなってしまっているような気さえする。
ここに書き込むようになった10年以上前にはまだ高校生だった私も、あと1週間足らずで大台に乗ることになった。当時と比べるとここを覗きに来る人も圧倒的に減っているように思うが、元々知人でここを知っている人もほとんどいないので、こちらの視点から言えばそこまで大きく変わったような気もしない。
さて、そろそろ大台だという話をした。その大台を迎えるにあたり、私の心と生活は不条理にも非常に惨めな現実に直面している。
上野顕太郎の話をしよう。彼のギャグマンガは読んだことがない。特段読もうとも思わない。ギャグマンガならやっぱり長尾謙一郎だろう(名前が似ている。しかしそこまで長尾氏のマンガを読み込んだわけでもない)。上野氏の傑作は誰が何と言おうと「さよならもいわずに」だ。
キホ・・・・。
私は16歳になる少し前に女性を知った。そして極めて未熟ながらも心より愛し、別れた。そのプロセスもあまり全うとは言えたものではないが、その終わり方は輪をかけて全うではない形で迎えたのだった。10年以上経った今になって思うが、高々16-7歳にあの経験はあまりにも可哀相ではないだろうか。大きな大きな爪痕を私の脳裏に残していった。
彼女は優しかったが、私はその優しさに過分に甘えていたと思うし、甘えずにはいられなかった。それは今でも残念ながら全く変わっておらず、それゆえにこのような今日を迎えているである。
最初の別れは本当の別れではなかった。それなりに良好な関係を保ったまま20歳を迎えていた。しかし私は私のエゴのせいでその関係を完膚なきまでに破綻させてしまったのである。蜂に刺されたときには一度目よりも二度目が危ないという。この二度目の「本当の別れ」は私にトラウマを焼き付け、明示的なだけでも少なくとも3年、深層心理においては屹度いまだに私を苦しめている。
K。「こゝろ」で非常に印象的な狂言回しをする登場人物の名前である。ほとんどインプロビゼーションのように書き始めたこのポストの本題にしようと思っていたのは前述の女性ではなかったのだが、恐るべきことに彼女もKだったということに、書き始めてから気付いたのであった。
このトラウマから学ばざるを得なかったことは大きく2点。
①親しくなりたい相手と軽々しく親しくなるべからず。
②親しくなりたい相手と親しくなったときは、一瞬一瞬を悔いなく過ごすべし。
「さよならもいわずに」。毎日毎日覚悟を持って過ごしていても、思わぬ時に終わりは来る。上野氏は自らの思いを描くことに救いを求めたのだと思う。
そして私は。私も。
それで久々にただの「まとめ」ではない形でここに想いを記していこうと思った次第だ。
(ふとしたことで変なボタンを押して、書いたのが全ておじゃんになることがある。それを防止するために一旦ここまでの内容で書き込むことにする。)
ここ数年は別の場所に「つぶやき」貯めた言葉を、過去からの一貫性を意識してここに転記するだけとなっていた。
前回の書き込みも2016年10月をかき集めただけの、言ってみればただの「(私の)まとめサイト」である。
奇遇にも、前回の書き込みをした翌朝から、私の世界は「ぐらり」とゆらぐようにして変わってしまった。半年経った今でも心の整理が一向につかないでいるし、ひょっとしたらひどくなってしまっているような気さえする。
ここに書き込むようになった10年以上前にはまだ高校生だった私も、あと1週間足らずで大台に乗ることになった。当時と比べるとここを覗きに来る人も圧倒的に減っているように思うが、元々知人でここを知っている人もほとんどいないので、こちらの視点から言えばそこまで大きく変わったような気もしない。
さて、そろそろ大台だという話をした。その大台を迎えるにあたり、私の心と生活は不条理にも非常に惨めな現実に直面している。
上野顕太郎の話をしよう。彼のギャグマンガは読んだことがない。特段読もうとも思わない。ギャグマンガならやっぱり長尾謙一郎だろう(名前が似ている。しかしそこまで長尾氏のマンガを読み込んだわけでもない)。上野氏の傑作は誰が何と言おうと「さよならもいわずに」だ。
キホ・・・・。
私は16歳になる少し前に女性を知った。そして極めて未熟ながらも心より愛し、別れた。そのプロセスもあまり全うとは言えたものではないが、その終わり方は輪をかけて全うではない形で迎えたのだった。10年以上経った今になって思うが、高々16-7歳にあの経験はあまりにも可哀相ではないだろうか。大きな大きな爪痕を私の脳裏に残していった。
彼女は優しかったが、私はその優しさに過分に甘えていたと思うし、甘えずにはいられなかった。それは今でも残念ながら全く変わっておらず、それゆえにこのような今日を迎えているである。
最初の別れは本当の別れではなかった。それなりに良好な関係を保ったまま20歳を迎えていた。しかし私は私のエゴのせいでその関係を完膚なきまでに破綻させてしまったのである。蜂に刺されたときには一度目よりも二度目が危ないという。この二度目の「本当の別れ」は私にトラウマを焼き付け、明示的なだけでも少なくとも3年、深層心理においては屹度いまだに私を苦しめている。
K。「こゝろ」で非常に印象的な狂言回しをする登場人物の名前である。ほとんどインプロビゼーションのように書き始めたこのポストの本題にしようと思っていたのは前述の女性ではなかったのだが、恐るべきことに彼女もKだったということに、書き始めてから気付いたのであった。
このトラウマから学ばざるを得なかったことは大きく2点。
①親しくなりたい相手と軽々しく親しくなるべからず。
②親しくなりたい相手と親しくなったときは、一瞬一瞬を悔いなく過ごすべし。
「さよならもいわずに」。毎日毎日覚悟を持って過ごしていても、思わぬ時に終わりは来る。上野氏は自らの思いを描くことに救いを求めたのだと思う。
そして私は。私も。
それで久々にただの「まとめ」ではない形でここに想いを記していこうと思った次第だ。
(ふとしたことで変なボタンを押して、書いたのが全ておじゃんになることがある。それを防止するために一旦ここまでの内容で書き込むことにする。)
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