イギリス→ドイツ→(中略)→卒業。
ライブや追い出しなんとかを始めとして、ありとあらゆるイベントがつぶれてしまい、
残念なこと限りなし。
(卒業式は雰囲気だけは味わうことが出来た。自粛する理由がいまいちわからんかったが、
安全上の理由か?)
とりあえず3/31から「はたらくおじさん」。
・精神安定が最重要。何か行為をする(しない)前には、
まず時間を短期・長期に分けて、それから結果がその各々時の精神に
いかなる影響を与えるかを考えればよい、ということに気付いて定式化定式化
・結果の出ない努力の逸失利益は半端ない
・やっぱりバンドは楽しい。できることならまたやりたい
・スカイライナー快適
・朝早く+N駅→高校受験を思い出す。
心配性の親が仕事前に会場のあるN駅まで着いてきてくれて、
フニャフニャの中学生だった自分にはたいそう心強かった。
ちなみに補欠1番だったというのがちょっとしたネタ
・イギリスいる間にリスニングできるようにならんかなあ
(→多少は聞き取れるような気分にはなったかも。英語コンプは解消させないと始まらない)
・Edinburgh historic good Scotland interesting
・Liverpool a dead town
・集団行動丸三日限界説。今までの人間関係なんて所詮表面上だったなあと思うこと頻り。
人の悪いところばかり見えるのは完全に自己責任。
なぜなら要素があってそれを「悪い」と見るのではなく、
まず「悪い」と思って要素を見つけだすから。
あるいは「あいつイライラしてるなあ」と思うときは自分が一番イライラしてるパターンも
自分のキャパを甘く見ていた。
まだまだ何日も集団に合わせ続けられるほどの真人間ではなかった。
家だとノンストップで10h睡眠のところ、
今回の旅行は途中で目覚めつつ7h睡眠程度だから無理があるのは当然で、
こうなるのも始めからわかっていた。
体調が悪いと精神も引きずられるわけで(肉体が精神に引きずられるパターンも勿論ある)
・というわけで、「三度の飯より寝るのが好きだ」
フランス観光<睡眠→証明済、ドイツ観光<睡眠→体調不良寝込みのため参考記録、
イギリス観光<睡眠→今回QED
・コンプレックスは必ずしも内発的なものに限らなくて、外部からの圧力によっても作られる
・再認識されたタスク・・・英語、聖書、中国語
新たに発見されたタスク・・・シャーロックホームズ、シェークスピア、ローマの歴史
・「与えよ、さらば与えられん」まではよかった。
問題は、与えられたあとの行動。反応が鈍すぎる
・焦って混乱しそうなときには、問題を細かくみることが重要。今まで持っていなかった発想
・ジャックブルースはまだ元気。素晴らしかった。
・In London, I often heard in my mind "(White man) in Hammersmith Palais" by the Clash
・「親孝行、したい時に親はなし」という言葉に象徴されるように、
人間関係は前借りも貯金もできない。自分の気まぐれがよくない
・ユーロスター!想像以上にフランス語話者多い。冷静に考えりゃ当然だが
・ユーロスターではすっかり寝てしまい、ドーバー海峡では意識無し、
ブリュッセル南駅でパ○ホーダイが使えない、タリス乗車。
ブリュッセルではとりあえずフランス語を解せて助かった。
どこへ旅行に行くのでも、現地の言葉を解せると解せないとでは大違い。
この点に関しては同時期にスペインへ行っていた友人と見解が一致。
情報量と安心感が格段に違う。英語だけで行けると思ったら大間違い、とまでは言わないが
・オランダ語は仏独の両方の影響を受けてるっぽくて何とも絶妙。
発音ははじき舌があるのが特徴的だと思った。エディンバラでもはじき舌を聞いた
・ロンドンは住みやすそうないいところ。ドイツに比べて夜遅くまで店が開いている
・欧州のホテルにツインベッドは少ないのか?
ダブルは隣で寝ている人間の振動が伝わってきて厄介
・ドイツのホテルの朝食はバリエーションが豊富だった
・509段の階段を登って山登り的辛さを味わう@ケルン大聖堂
・トリーア(ローマの遺跡やマルクスの生家がある)がどうも日本にもありそうな雰囲気の町だった。
道路の舗装の雰囲気とか
・自動ペットボトル回収機にびっくり。
出てくるレシートをレジで渡してPfand(空のペットボトルを渡すともらえるお金)をもらう
・こんな感じで地震は直接には経験していない。ドイツでの報道が大々的だが肝心なところが情報不足だった。しかし地震報道しかり、ブリュッセル駅もしかり、現地の言葉がわかるに越したことはない
・地震がないから住むならドイツがいい
・後出しになるが、古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』は読んでおいた方がいい。
地震サバイバル
・「期待は現実化する」?
・ドイツの日本大使がドイツ語ペラペラ。さすがだわ
・最初は蚊帳の外ポツンな気分だったけれども、
こんな「イベント」は参加しないに越したことはない
・みんながみんな運命共同体だと思ったら大間違いだぞ、と声を大にして言いたい。
地震直後の言説の迷走というか、混乱というか、短絡的な発言には
もはや「恐れ入った」と言っていいレベル。
こういうのを見ると民主主義に対して疑念を抱く。言論統制も止む無しとさえ思えてくる。
よろしくない。丸山が理想としたであろう「強くて自立した個人」まではまだまだ程遠いか
・地震直後の意味不明言説の例
「原発では命を賭して頑張っている社員がいるのになぜ国民に報道しない!」←そんなもん後回しでよい
「節電すべし」と「普段通り経済活動すべし」の矛盾
「パチンコ屋は営業を自粛せよ!」←何故狙い撃ち?
「自粛せよ!」「寄付せよ!」←自発的になされない自粛や寄付は「自粛」「寄付」などとは
呼びません。こういったところから無言の圧力や妙な圧殺が始まるのではないか。
「そのツイート、今回の危機の役に立たないからやめろ」←こういう発言自体が役に立たない。
とりわけ、その理由を「被災地のため」などと言っている人間は本当に役に立たない人間だとさえ思った。
自分が不快に思うのが理由なら素直にそう言うべきではないか。
関西の人間が普段通りに生活して、普段通りに連絡をくれるのが大変喜ばしかった
・上記のような混乱した言説は、今の混乱やその後の復興によって忘れ去られてしまうのだろうか。
それが気がかりだ。忘れ去られてしまっては反省が生まれない。
・成田からの電車はストップ、バスは(おそらく)満席。タクシー2人乗りで2万円近くしたが、
実際お金は余っていたし、これが最善手だったと思う。ついでに初アクアライン
・地震後、自分の部屋は現状維持をお願いしておいたわけで、
どうなっているかと思ったが、もとがぐちゃぐちゃすぎて変化がわからなかった
・時差ボ系男子
・ひねくれ会話:1. 「節電叫ばれてるのにうちはやっぱり普段と変わらないね」「普段から節電しているからこれ以上やる必要がない」
2. 「地震のときに募金しようだなんて、みんないい人だね」「育ちがいいんでしょ」
・瀬戸内海行きたい
・旅行中と比較して家だとベッドからなかなか出られない一因は、きっと(普段から)暖房つけていなくて寒いから
・茂木健一郎がキリスト教にも詳しくなれば、イエスとノーの人になる
・サークルか何かの集まりで中華料理屋に行って半チャーハンだけ頼んだ。
店を出た後、食べ忘れた気がして自分だけ店に戻った。
そこでサークルの先輩と中学の先輩に出くわして一緒に食べる流れに。
そこで食べながら、さっき食べ忘れたのは気のせいじゃないかと思い始める。
サークルの先輩は名前と顔が全く別物で、
新人サラリーマンとして社会で揉まれたせいで顔つきが変わったのかとも思ったが、
思い返してみると、あれはどう見ても川野太郎だろう。
という夢
・SIB(「スーパーに行くとバカになる」)
・米がないならケーキを食べればいいじゃない(コンビニの棚はガラガラだったが、
コー○ーコーナーには普通に商品があった)
・大分は唐揚げ屋が豊富らしい
・外部がどうあろうと、自らの心を平和にしておくことが重要
・前述の混乱した言説でもそうだが、
「被災者(被災地)のため」という言葉が単なる手段(のみ)になってはいないか。
一方で、「被災者(被災地)」を確固とした目的としうるかというと、それにも限度があると思う。
というのも、言葉を発する人たちのみんながみんな被災者(被災地)に思い入れがあったり、
現地の事情がわかったりするわけではないだろうから
・自分と世界がつながっているのか、ときどき疑問に思う。
何も感じ取れない、何も感じ取られない。地表から数ミリ浮いたドラえもん。
自分は結局世界の「観察者」にしかなりえない気がする。
世界を他人事のように捉えることしかできない。
世界を自分に同一化させようとすることもなければ、自分を世界に同一化させようとすることもない。
この2パターンの人間を見るにつけ、自分は何なのだろうと思う
・関西の大学が卒業式をやるのなら、関西へ移動して卒業式気分を味わう手もないではない
(結局、思いのほか卒業式然としており、卒業式気分を味わえた。
スーツ・袴着用率9割くらい?来られなかった人もいたようだけれど)
・とりあえず「自粛」さえしておけば文句を言われずに済むという専らの噂
・自らに「病気」というレッテルを貼り、責任を回避し、少しでも身軽にするマジック。
・労働市場においては、代替不可能かつ代替可能な自分にならなければならない、というわけか。
「労働市場においては」という留保も案外必要ないかも
・物的証拠の発掘。
1. 英語は昔はできて今はできなくなっているかと思っていたが、
昔からできていなくて、一時的に調子がよかっただけ
2. 世界史は入試に使っていなくて全然だめだめなつもりだったが、
学んですぐの頃はちゃんと頭に入れていたようだ
・「理性は感情の婢」ということを徹底すると、その主従関係が逆転するという不思議
・被曝者差別という発想がそもそもなかったわけだが
・二兎を追わないと二兎は得られない。この性格は直りそうにない
・春の甲子園、応援での鳴り物「自粛」(=強制的な中止以外の何物でもないのでは)。
しかし、演奏隊の人たちも選手と同じくらい本番を楽しみにしていたのではないか。
その意味でやりすぎの感は否めない。
東北の人たちが応援しに来られないことへの配慮なのかもしれないが、
東北の人たちといっても、被害を被っていそうなのは東北高校と水城高校くらいで、
その2校への支援が出来さえすれば(例えば有志とか)何とかなったのではないか。
現に兵庫県の高校生が応援に行っているではないか。
しかし決定段階では有志の自発的な応援を保証できず、
招集も手間だったから全部ぶっつぶして「自粛」、というわけなのだろうか
・SNSの登場でさらに社会が平準化されるかと思いきや、案外そうでもない。
数が力で、力が数。正しいとは何か。
ルール決めたがりとデマゴーグには気を付けろ!
全くもって、情報「社会」(笑)である。社会になりきれていない。
社会に唯一の目的などあるものか。そんな目的を主観的に決めて、
それを他者に押し付ける人間の気がしれない
・昔から、必死な人が増えれば増えるほど、シラけてしまう性質。
これまでの人生における学校行事しかり、今回の地震への反響しかり
・何となく、中身もよく確かめず衝動買いしたヨコハマ映画祭パンフのバックナンバーが当たり!
そもそも森田芳光「39」のパンフだと思って「これください」と言って、
出てきてびっくり勘違いだったもののここで断るのも、と思い買った、ある種曰くつきのものなのだが。99年は当たり年だったのだろうか。39に黒い家、大阪物語に月光の囁き。
・Loin du droit
・自分の過去を良くすることや、自分の未来を良くすることへの執着は強いかもしれないが、
自分の未来そのものへの執着は薄いのかもしれない(「自分の過去そのものへの執着」はすぐには思いつかない)
メモ
英国王のスピーチ(英語、理解度4割)
ブラックスワン(英語、理解度7割)
冷たい熱帯魚
ライブや追い出しなんとかを始めとして、ありとあらゆるイベントがつぶれてしまい、
残念なこと限りなし。
(卒業式は雰囲気だけは味わうことが出来た。自粛する理由がいまいちわからんかったが、
安全上の理由か?)
とりあえず3/31から「はたらくおじさん」。
・精神安定が最重要。何か行為をする(しない)前には、
まず時間を短期・長期に分けて、それから結果がその各々時の精神に
いかなる影響を与えるかを考えればよい、ということに気付いて定式化定式化
・結果の出ない努力の逸失利益は半端ない
・やっぱりバンドは楽しい。できることならまたやりたい
・スカイライナー快適
・朝早く+N駅→高校受験を思い出す。
心配性の親が仕事前に会場のあるN駅まで着いてきてくれて、
フニャフニャの中学生だった自分にはたいそう心強かった。
ちなみに補欠1番だったというのがちょっとしたネタ
・イギリスいる間にリスニングできるようにならんかなあ
(→多少は聞き取れるような気分にはなったかも。英語コンプは解消させないと始まらない)
・Edinburgh historic good Scotland interesting
・Liverpool a dead town
・集団行動丸三日限界説。今までの人間関係なんて所詮表面上だったなあと思うこと頻り。
人の悪いところばかり見えるのは完全に自己責任。
なぜなら要素があってそれを「悪い」と見るのではなく、
まず「悪い」と思って要素を見つけだすから。
あるいは「あいつイライラしてるなあ」と思うときは自分が一番イライラしてるパターンも
自分のキャパを甘く見ていた。
まだまだ何日も集団に合わせ続けられるほどの真人間ではなかった。
家だとノンストップで10h睡眠のところ、
今回の旅行は途中で目覚めつつ7h睡眠程度だから無理があるのは当然で、
こうなるのも始めからわかっていた。
体調が悪いと精神も引きずられるわけで(肉体が精神に引きずられるパターンも勿論ある)
・というわけで、「三度の飯より寝るのが好きだ」
フランス観光<睡眠→証明済、ドイツ観光<睡眠→体調不良寝込みのため参考記録、
イギリス観光<睡眠→今回QED
・コンプレックスは必ずしも内発的なものに限らなくて、外部からの圧力によっても作られる
・再認識されたタスク・・・英語、聖書、中国語
新たに発見されたタスク・・・シャーロックホームズ、シェークスピア、ローマの歴史
・「与えよ、さらば与えられん」まではよかった。
問題は、与えられたあとの行動。反応が鈍すぎる
・焦って混乱しそうなときには、問題を細かくみることが重要。今まで持っていなかった発想
・ジャックブルースはまだ元気。素晴らしかった。
・In London, I often heard in my mind "(White man) in Hammersmith Palais" by the Clash
・「親孝行、したい時に親はなし」という言葉に象徴されるように、
人間関係は前借りも貯金もできない。自分の気まぐれがよくない
・ユーロスター!想像以上にフランス語話者多い。冷静に考えりゃ当然だが
・ユーロスターではすっかり寝てしまい、ドーバー海峡では意識無し、
ブリュッセル南駅でパ○ホーダイが使えない、タリス乗車。
ブリュッセルではとりあえずフランス語を解せて助かった。
どこへ旅行に行くのでも、現地の言葉を解せると解せないとでは大違い。
この点に関しては同時期にスペインへ行っていた友人と見解が一致。
情報量と安心感が格段に違う。英語だけで行けると思ったら大間違い、とまでは言わないが
・オランダ語は仏独の両方の影響を受けてるっぽくて何とも絶妙。
発音ははじき舌があるのが特徴的だと思った。エディンバラでもはじき舌を聞いた
・ロンドンは住みやすそうないいところ。ドイツに比べて夜遅くまで店が開いている
・欧州のホテルにツインベッドは少ないのか?
ダブルは隣で寝ている人間の振動が伝わってきて厄介
・ドイツのホテルの朝食はバリエーションが豊富だった
・509段の階段を登って山登り的辛さを味わう@ケルン大聖堂
・トリーア(ローマの遺跡やマルクスの生家がある)がどうも日本にもありそうな雰囲気の町だった。
道路の舗装の雰囲気とか
・自動ペットボトル回収機にびっくり。
出てくるレシートをレジで渡してPfand(空のペットボトルを渡すともらえるお金)をもらう
・こんな感じで地震は直接には経験していない。ドイツでの報道が大々的だが肝心なところが情報不足だった。しかし地震報道しかり、ブリュッセル駅もしかり、現地の言葉がわかるに越したことはない
・地震がないから住むならドイツがいい
・後出しになるが、古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』は読んでおいた方がいい。
地震サバイバル
・「期待は現実化する」?
・ドイツの日本大使がドイツ語ペラペラ。さすがだわ
・最初は蚊帳の外ポツンな気分だったけれども、
こんな「イベント」は参加しないに越したことはない
・みんながみんな運命共同体だと思ったら大間違いだぞ、と声を大にして言いたい。
地震直後の言説の迷走というか、混乱というか、短絡的な発言には
もはや「恐れ入った」と言っていいレベル。
こういうのを見ると民主主義に対して疑念を抱く。言論統制も止む無しとさえ思えてくる。
よろしくない。丸山が理想としたであろう「強くて自立した個人」まではまだまだ程遠いか
・地震直後の意味不明言説の例
「原発では命を賭して頑張っている社員がいるのになぜ国民に報道しない!」←そんなもん後回しでよい
「節電すべし」と「普段通り経済活動すべし」の矛盾
「パチンコ屋は営業を自粛せよ!」←何故狙い撃ち?
「自粛せよ!」「寄付せよ!」←自発的になされない自粛や寄付は「自粛」「寄付」などとは
呼びません。こういったところから無言の圧力や妙な圧殺が始まるのではないか。
「そのツイート、今回の危機の役に立たないからやめろ」←こういう発言自体が役に立たない。
とりわけ、その理由を「被災地のため」などと言っている人間は本当に役に立たない人間だとさえ思った。
自分が不快に思うのが理由なら素直にそう言うべきではないか。
関西の人間が普段通りに生活して、普段通りに連絡をくれるのが大変喜ばしかった
・上記のような混乱した言説は、今の混乱やその後の復興によって忘れ去られてしまうのだろうか。
それが気がかりだ。忘れ去られてしまっては反省が生まれない。
・成田からの電車はストップ、バスは(おそらく)満席。タクシー2人乗りで2万円近くしたが、
実際お金は余っていたし、これが最善手だったと思う。ついでに初アクアライン
・地震後、自分の部屋は現状維持をお願いしておいたわけで、
どうなっているかと思ったが、もとがぐちゃぐちゃすぎて変化がわからなかった
・時差ボ系男子
・ひねくれ会話:1. 「節電叫ばれてるのにうちはやっぱり普段と変わらないね」「普段から節電しているからこれ以上やる必要がない」
2. 「地震のときに募金しようだなんて、みんないい人だね」「育ちがいいんでしょ」
・瀬戸内海行きたい
・旅行中と比較して家だとベッドからなかなか出られない一因は、きっと(普段から)暖房つけていなくて寒いから
・茂木健一郎がキリスト教にも詳しくなれば、イエスとノーの人になる
・サークルか何かの集まりで中華料理屋に行って半チャーハンだけ頼んだ。
店を出た後、食べ忘れた気がして自分だけ店に戻った。
そこでサークルの先輩と中学の先輩に出くわして一緒に食べる流れに。
そこで食べながら、さっき食べ忘れたのは気のせいじゃないかと思い始める。
サークルの先輩は名前と顔が全く別物で、
新人サラリーマンとして社会で揉まれたせいで顔つきが変わったのかとも思ったが、
思い返してみると、あれはどう見ても川野太郎だろう。
という夢
・SIB(「スーパーに行くとバカになる」)
・米がないならケーキを食べればいいじゃない(コンビニの棚はガラガラだったが、
コー○ーコーナーには普通に商品があった)
・大分は唐揚げ屋が豊富らしい
・外部がどうあろうと、自らの心を平和にしておくことが重要
・前述の混乱した言説でもそうだが、
「被災者(被災地)のため」という言葉が単なる手段(のみ)になってはいないか。
一方で、「被災者(被災地)」を確固とした目的としうるかというと、それにも限度があると思う。
というのも、言葉を発する人たちのみんながみんな被災者(被災地)に思い入れがあったり、
現地の事情がわかったりするわけではないだろうから
・自分と世界がつながっているのか、ときどき疑問に思う。
何も感じ取れない、何も感じ取られない。地表から数ミリ浮いたドラえもん。
自分は結局世界の「観察者」にしかなりえない気がする。
世界を他人事のように捉えることしかできない。
世界を自分に同一化させようとすることもなければ、自分を世界に同一化させようとすることもない。
この2パターンの人間を見るにつけ、自分は何なのだろうと思う
・関西の大学が卒業式をやるのなら、関西へ移動して卒業式気分を味わう手もないではない
(結局、思いのほか卒業式然としており、卒業式気分を味わえた。
スーツ・袴着用率9割くらい?来られなかった人もいたようだけれど)
・とりあえず「自粛」さえしておけば文句を言われずに済むという専らの噂
・自らに「病気」というレッテルを貼り、責任を回避し、少しでも身軽にするマジック。
・労働市場においては、代替不可能かつ代替可能な自分にならなければならない、というわけか。
「労働市場においては」という留保も案外必要ないかも
・物的証拠の発掘。
1. 英語は昔はできて今はできなくなっているかと思っていたが、
昔からできていなくて、一時的に調子がよかっただけ
2. 世界史は入試に使っていなくて全然だめだめなつもりだったが、
学んですぐの頃はちゃんと頭に入れていたようだ
・「理性は感情の婢」ということを徹底すると、その主従関係が逆転するという不思議
・被曝者差別という発想がそもそもなかったわけだが
・二兎を追わないと二兎は得られない。この性格は直りそうにない
・春の甲子園、応援での鳴り物「自粛」(=強制的な中止以外の何物でもないのでは)。
しかし、演奏隊の人たちも選手と同じくらい本番を楽しみにしていたのではないか。
その意味でやりすぎの感は否めない。
東北の人たちが応援しに来られないことへの配慮なのかもしれないが、
東北の人たちといっても、被害を被っていそうなのは東北高校と水城高校くらいで、
その2校への支援が出来さえすれば(例えば有志とか)何とかなったのではないか。
現に兵庫県の高校生が応援に行っているではないか。
しかし決定段階では有志の自発的な応援を保証できず、
招集も手間だったから全部ぶっつぶして「自粛」、というわけなのだろうか
・SNSの登場でさらに社会が平準化されるかと思いきや、案外そうでもない。
数が力で、力が数。正しいとは何か。
ルール決めたがりとデマゴーグには気を付けろ!
全くもって、情報「社会」(笑)である。社会になりきれていない。
社会に唯一の目的などあるものか。そんな目的を主観的に決めて、
それを他者に押し付ける人間の気がしれない
・昔から、必死な人が増えれば増えるほど、シラけてしまう性質。
これまでの人生における学校行事しかり、今回の地震への反響しかり
・何となく、中身もよく確かめず衝動買いしたヨコハマ映画祭パンフのバックナンバーが当たり!
そもそも森田芳光「39」のパンフだと思って「これください」と言って、
出てきてびっくり勘違いだったもののここで断るのも、と思い買った、ある種曰くつきのものなのだが。99年は当たり年だったのだろうか。39に黒い家、大阪物語に月光の囁き。
・Loin du droit
・自分の過去を良くすることや、自分の未来を良くすることへの執着は強いかもしれないが、
自分の未来そのものへの執着は薄いのかもしれない(「自分の過去そのものへの執着」はすぐには思いつかない)
メモ
英国王のスピーチ(英語、理解度4割)
ブラックスワン(英語、理解度7割)
冷たい熱帯魚
コメント