突飛

2010年10月26日 日常
最近いじめによる自殺がはやっているように見受けられるが、
突飛な状況設定による思考実験をば。
まず、いじめはどうやってもなくならないことを前提に、
逆にいじめを推奨する。
しかし同時に先生のいかなる体罰も許されるものとする。
そしていじめを先生に連絡したものには多大な褒美を与えることにする。
さてどうなるだろうか。
話を拡張すれば国家権力の話にもなりそうだし、
さらに拡張すれば、戦争を始めとする国際関係の話にもなりそう。
そして全然勉強が身についていない、
理論的な素地が足りない、ということに改めて気づき落胆する。
理論は実際的ではないとされる向きも多い気がするが、
思うに、理論は将棋や囲碁でいうところの「定石」だと思う。
要は議論の土台であり、先人たちが積み重ねてきた知恵の結晶である。
もう一度卒業までにいろいろ再確認しておきたい
(が、ついつい後回しになってしまっている。資格試験もいろいろあるし)。

そのうち行われるそうである、世にもあほらしい「奨学金制度」。
内田樹が面白いことを書いたり引用したりしている。
胸がスカッとするが、何も解決されはしない。
実際、弟に響いてくる大きな問題なのだ。
もっともボランティアをしたなどと証明のしようがない限りは形骸化しそうでもある。
それはそれで喜ばしい。
参照:http://blog.tatsuru.com/2010/10/22_1013.php

他人に対する疑心暗鬼がなくなるはずがない。
どうして(大勢に対してではなく)1対1の事務連絡に返事をよこさないのか。
すぐには回答できない案件であるならば、その旨を早めに伝えた方が、
送り手としてはそのことを受け止めていろいろ対処のしようがあり、
結果として物事がスムーズにいくことが間違いないと思うのだが、
それがない限り、送り手としては、いや、自分自身としては、
「何か裏で画策しているのではないか」
「自分に返事をしたくないほど自分を毛嫌いしているのではないか」
などと邪推してしまうのである。
それで悩みの種が増える。
返事を怠る(自分の中では待機時間が24時間を超えたらそう感じる)人は
以上「 」内の2点に該当するか、
そもそもの前提にある「物事をスムーズに運ぶ必要性」という価値観を
共有できていないか、
どちらかなんだと思う。
メールの返信なんてそんなに時間もかからないんだし、
24時間の猶予があれば、その間ずっと手がふさがっているなんてことは稀だろう。
どうなんですかね、その辺。
僕が狭量なだけですか?
まったく、これだからいつまでたっても
「ほうれんそう」のレベルから脱却できないんだ。


メモ
死刑台のエレベーター(ルイ・マル版)

コメント

や

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索