結果より過程

2009年11月23日 日常
よく「結果より過程が重要だ」と言われたりするものだが、
それが基本的に意味するところは
「いくら結果が悪くても頑張ったことに意味があるよ」
だとか、
「いくら結果が良くても適当にやってちゃ意味ないよ」
などであって、為したことの成果が秤にかけられている。
この側面においての先の黄金律を採用するかどうかは別として、
他の側面についての「結果より過程」という道理を発見したように思う。

つまり、
「本番自体を成し遂げた」という感慨は、正直なところ思いの外うすい。
衝撃的・爆発的な感動や感激などはない。
いつもやってきたことをいつものようにやっただけのことである。
むしろその「いつもやってきたこと」、好きなことをやるために好きな人達を集めて2か月ほど共に活動したということ、あるいは同時に、好きな人達と共に2か月ほど活動したということ(この2つは力点が異なる。内容が好きなのか、一緒にやる人間が好きなのか)、
これらのことから継続的に楽しみを得ていたのである。
一つ一つとしては小さく穏やかな快楽なのかもしれないが、
期間のある程度の長さゆえ、その総和は非常に大きいものだろうと思う。
だからこそじわじわと体が幸せに浸されていくのであって、
その幸せは地道なボディブローのように私の体を蝕んでいく。

本番なんてものは結局「設定」としての目的にすぎず、実のところ、愉悦を生み出すための手段だったのだ。
「設定」されたゴールは、真の意味での目的とはなりえず、逆説的ではあるが、むしろプロセスの一部なのである。
そして一見したところ道程でしかなさそうな共同作業、
先に述べたような共同作業こそが、各活動の精髄であって、
そこにこそ至高最高の悦楽が内包されているのだろう。

私は本当に生き急いでいたし、今でもやはり生き急いでいると思う。
そのことによって強力に推進されてきたこの2か月は、
「目的」が終わった直後とはいえ改めて振り返ってみると、
月並な言葉ではあるが、素晴らしいものだったと思うし、
今なら死んでも比較的悔いなく無事に成仏できると思う。
だからこそ逆に、私が生きている間はこのボディブローが
永遠に私を打ち続けるのかもしれないという不安が残るのである。

コメント

や

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索