打開策は?

2009年10月22日 日常
どうも張りがない。
ということに気付いた。

日々が「こなしゲー」と化しているせいだということに思い至った。

もっとも、新しいことを何もやっていないというわけではない。
むしろ新たなイベントは次から次へと用意されている。
しかしそこに「新鮮味」はない。
自分のところに回ってくるのはほとんどが既に使い古されたものたちなのだ。

実は問題の核心はここにはない。
日々の出来事の内容が問題なのではない。
日々の出来事に対する向かい方が問題なのである。
すなわち、すっかり目的一直線追求型になってしまっているのである。
楽しみは寄り道にこそ、寄り道の田園風景にこそあるのである。
たまには一駅分くらい余計に歩いた方がいい。
下校のときに方向が違う友人についていくのがよい。

確かに新しいことごとが降ってきてもそれらはある程度以上定型化している。
流動性が不足している。定着してしまっている。
しかし根本問題は更にその地中深くにあって、
今ある状況、つまりやることが多いという状況(これだってそもそも「寄り道の定着」のせいであるかもしれないのだが。)に対して知らず知らずのうちに効率よく対処してしまう癖がついてしまっているのが問題なのだ。
思考の癖のようなものだ。
そしてこれこそが目的一直線追求型生活の原因である。

楽しみのために欲張ってたくさんのことに手を出すと楽しみが逓減するとでも言うのか。
例えば、貨幣の登場によって無限のものにならずにはいられなくなった、人間の資本主義的な欲望。

収拾がつかなくなったのでおしまい。

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や

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