(うん、やっぱりはっきり言おう
2008年6月2日 日常ひょっとすると多分な誤解を含んでいるかもしれないが、
そんなことはおそれず言おう。
何でもかんでも〇〇〇〇〇〇〇いいってもんじゃねえぞ。
どこの〇〇〇か知らねえが、そういう
「〇〇〇〇〇〇〇うわぁぃ」
だとか
「〇〇〇増えて〇〇〇〇も〇〇〇〇うわぁぃ」
みたいな、どこかの〇〇〇〇チックな発想が
連想されてしまうというか、垣間見えてしまう行動には、
本気で〇〇〇がするっつーの。
〇〇〇〇〇んじゃねーの?
先輩の名言を引用するならば、
「〇〇〇上で〇〇〇〇〇競い合うのに〇〇〇〇〇は大変ですね」
といったところか。
あー〇〇〇が走る。
つうかそういう人たち一般的に言いたいことだけど、
そうやってほとんど〇〇〇〇〇〇〇との〇〇上の結びつきを
〇〇に〇〇〇ことによって、〇〇〇〇〇〇ヒロイジブンを演出して、
そんな自分を「客観的」に眺めて〇〇〇り、
自己を〇〇〇〇〇としたところで、
そんな営みから〇〇〇〇〇〇っつーの?
世捨て人志望一歩手前のおじさんにはてんで理解できませーん!
勿論そういうことが全くダメとは言ってないし、適当な程度で
あるなら歓迎されてしかるべきであると考えてはいる。
がしかし。がしかし。)
って変なおじさんに言われたんだけど、どうすればいいかなあ?」
「そりゃどうみてもそいつが頭おかしいだけだから無視でいいでしょ。」
「あのおじさん本気で冗談言ったり、冗談で本気のことを言ったりで、本心がまるでわかんないんだよう」
「それはある意味どっちも本心なんじゃないかな?というかそもそも本心なんてもの自体の存在があやしい。ほら、いろんな場面に応じていろんな自分を使い分けてるうちにどれがホンタウノジブンかわからなくなっちゃったりするけど、結局のところどれもひっくるめて自分である、みたいな。」
〇部分→書いて気分がすっきりしたあとで見てみて、その過激さに若干の問題ありとみて自主検閲。
そんなことはおそれず言おう。
何でもかんでも〇〇〇〇〇〇〇いいってもんじゃねえぞ。
どこの〇〇〇か知らねえが、そういう
「〇〇〇〇〇〇〇うわぁぃ」
だとか
「〇〇〇増えて〇〇〇〇も〇〇〇〇うわぁぃ」
みたいな、どこかの〇〇〇〇チックな発想が
連想されてしまうというか、垣間見えてしまう行動には、
本気で〇〇〇がするっつーの。
〇〇〇〇〇んじゃねーの?
先輩の名言を引用するならば、
「〇〇〇上で〇〇〇〇〇競い合うのに〇〇〇〇〇は大変ですね」
といったところか。
あー〇〇〇が走る。
つうかそういう人たち一般的に言いたいことだけど、
そうやってほとんど〇〇〇〇〇〇〇との〇〇上の結びつきを
〇〇に〇〇〇ことによって、〇〇〇〇〇〇ヒロイジブンを演出して、
そんな自分を「客観的」に眺めて〇〇〇り、
自己を〇〇〇〇〇としたところで、
そんな営みから〇〇〇〇〇〇っつーの?
世捨て人志望一歩手前のおじさんにはてんで理解できませーん!
勿論そういうことが全くダメとは言ってないし、適当な程度で
あるなら歓迎されてしかるべきであると考えてはいる。
がしかし。がしかし。)
って変なおじさんに言われたんだけど、どうすればいいかなあ?」
「そりゃどうみてもそいつが頭おかしいだけだから無視でいいでしょ。」
「あのおじさん本気で冗談言ったり、冗談で本気のことを言ったりで、本心がまるでわかんないんだよう」
「それはある意味どっちも本心なんじゃないかな?というかそもそも本心なんてもの自体の存在があやしい。ほら、いろんな場面に応じていろんな自分を使い分けてるうちにどれがホンタウノジブンかわからなくなっちゃったりするけど、結局のところどれもひっくるめて自分である、みたいな。」
〇部分→書いて気分がすっきりしたあとで見てみて、その過激さに若干の問題ありとみて自主検閲。
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