それはあんまりなことだったので、一気に全身から冷や汗をかき、
手に持っていた携帯電話を地面に叩きつけそうになった。
するといつの間にか僕は宙に浮いていたのだ。

四月も末ともなれば春の陽気はとうに過ぎ去っており、
日中はもちろん、とりわけ夜は寒さがこたえる。
(朝はまだましだ)
ほとんど冬だ。ひじょうにつめたい。
暖かくなってきたね、だなんて、ほとんど錯覚にすぎないだろう。
こんなんで、どんな服を着ていろと。

相変わらず黄色は僕に警告し、
赤と黒は一緒になって僕に憐憫の目を向ける。
強いて言うならば、点滅していれば青、さもなくば青か赤のいずれかだ。
これは論理的に正しい。
ところで、僕が宙に浮いてしまったのは、赤と黒が一緒になって僕のことを
必要以上に憐れんだからであるわけだが、
そういった感覚が鋭敏になればなるほど、色そのものに対する感覚は衰えていくらしい。
どおりで春は寒い。もう年老いてしまったのだ。

一層錯覚感は増すばかりだ。夢はもうおしまい。
ベールをまとったオブジェは、オブジェなんかじゃないんだよ。
全く僕は騙されていた。リスニング力の欠如。
つまり、
気付くと桜は散っており、いまや茶色い木肌を無惨にも晒すばかりである。
葉も芽も出やしない。そもそも出るわけがない。
それこそまさに錯覚だ。
冬の次は春。錯覚の季節。
それから冬。この間に錯覚に向けて冬眠するんだ。

寒い。寒すぎる。またガソリンの値段が上がるそうだ。
この冬は何人が凍死するだろう。
もちろん錯覚に踊らされている人は生き永らえます。
風呂の湯はあっという間に水だし、吐く息は白い。
金属は棘のように肌を突き刺す。
地面からジリジリよじ登ってくる。

にもかかわらず、学校では日差しが強く、目を開けている余裕などない。
しかしその日差しもたかが知れていて、全く以て冷たい日差しなのである。
どいつもこいつも、自分の親しい知人さえも、
まるで鏡をみているかのごとく自分にそっくりなのだが、
これは僕が僕の目を通して見ている以上、
当然のことであろう。
そして言うまでもないことだが、
同じ遺伝子をもつものを憎む、という結末を迎えるであろう。
反射に反射を重ねる合わせ鏡。

こんな夢を見た。
僕は子犬をかわいがるふりをしている。
本当に自分がそれをかわいがりたかったのかはわからない。
ふと思い立って、針を子犬の目玉に突き立てようと試みた。
子犬はどんな反応もしない。僕は手を震わせながら、
ジリジリと近付けていく。
すると、何とも驚くことに、僕は吐いてしまった。
子犬は僕の手からするりと抜け出し、
においもかがずに吐瀉物をペロペロ舐め始めた。
よほどお腹が空いていたのだろうか。

そういえば先月に比べて、こころない太陽が近づいてきている気がしないでもない。
つまり自然の摂理として

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や

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