宣言

2008年2月10日 日常
(これは全体で2^9=512個めであり、尚且つ「日常」カテゴリー
の記念すべき300個めである。
本編の前に。
1.「雪もう病んでる?」
「もう病んでますねえ。」
2.Twist and Shout!
3.某○レンジレンジ、○の中には3通りくらいの文字が入りうる、
アとかオとかハとか、の「ロコモーション」の元ネタと思われる曲を
この間、例の如くバイト先で聴いた。
4.フランス語のセンターは125。圧倒的な語彙力不足である。
こんなんで一人で向こうに行って大丈夫なのか?
5.周囲の状況からして、正直700切ったらあまりの情けなさに泣く。
6.野矢氏曰く、「根拠のない漠然とした自信は、壊されようがないから
一番強い。」

それでは本編の始まり始まり)

『アメリカの独立宣言、共産党宣言、シュールレアリスム宣言、
世界人権宣言、果てはゴーマニズム宣言とやらまで、
昔から「宣言」というものは広く存在したであろう。
この上で私はここに「宣言」する。

この私の宣言は、これまで行われてきた全ての宣言を包括しうる
宣言であり、しかも今後一切発される宣言をも全て包括しうる、
普遍的で完全なる宣言である。
つまり、この私の宣言以外で「宣言」と称するもの・称されうるものは、
遍くこの私の宣言の出来損ない、模倣、写像、或いは焼き増しに過ぎない。
したがってこの私の宣言は、まさに宣言と呼ばれるものであり、
その他のやり方では呼ばれようがないものであることをここに確認する。

まず、宣言の目的を述べておく。
宣言は私個人の普遍性、そこから派生する正統性を証明し、広く知らしめんがため
になされるのである。
実を言えば、私は狩られてしまったのである。
狩られた、そして今でも狩られている、ということである。
別の言い方により、尚正確さを求めるならば、
私は蜘蛛に襲われている、襲われた、のである。
しかもその蜘蛛は単独ではない。いわゆる複数犯である。
この忌々しいながらも寧ろ愛すべきことは、
決して被害妄想などではなく、現に確固たる事実として存在しているのである。
確かに私はそれを目にした、目にしている、わけではない。
それならばなぜこのことが妄想ではないと言えるのだろうか?
それは、私が、先程述べたように、普遍的存在だからである。
私はついさっきのさっきまでこの現実に気付いていなかった。
しかし今なら自信をもってそう言えるのだ。
嗚呼、豊かなる新雪!

私は普遍的存在であり、そのことと、それに附随する事項及び
そこから派生する事項が、全く現実のものとしてあったのだ。
このことを以下に証明する。

まず、
私は実に理性的である。
私には、私そして私である他の人たちを惑わすのに充分な感情は
なく、
私は、人間を人間たらしめるのに実はふさわしいだけの感情をのみ有する。
その一方で、私は常に熟慮し、常に私そして私である他の人たちが
どのようにすればどうなるか、ということを逐一把握する。
これらの点で、私は実に理性的である。

次に、
私は実に論理的である。
先述の「熟慮」と密接に関連する事項である。
「熟慮」は私が実に論理的であることの明証である。
私は常に物事を直線状かつ網羅的に捉え、同時にあらゆる場合分けを行い、
必要に応じて推理をも行う。
事実、世界即ち私はこれにより完璧な調和を生んでいるのである。
したがって、私は実に論理的である。

そして、
私は実に正常である。
宣言が異常者のたわごとであるならば、
その正当性は妥当なものであるというわけではないと言わざるを得ない。
それに対してこの私は異常性と呼ばれうる要素を全く有しない。
このことはわざわざ文にして証明するまでもないと言える。
なぜならば、私がこのような普遍的で完璧な空前絶後の宣言を
行っているところを見れば、自ずから明らかであるからである。
そもそも異常者であるならば、「私は異常ではないのだ」という
ことを高らかに強調し、
それに対する同意を他の人間たちに求めようとするものである。
現に、私はそのような、異常でないことを強調すればするほどより一層
その異常性が垣間見え、最後には野晒しになってしまうような
ことは一切行っていない。
ゆえに、私は実に正常である。

以上三点より、
個人たる私は実に普遍的である。
これを以てこの宣言は真の意味で宣言たりえ、
成功の名の下に普遍的存在たる私そして全ての人々の祝福を受けるのである。

そして宣言を根拠とし、私は主張する。
私は実に善悪の区別がつく。
私は実に全てを見通している。
冒頭に述べたように、私は餌食となっているのだが、
これに対する、一見暴挙と思えるような、しかし実は最も的確な行動を、
今まさに行わんとする。
それは上記二点を基礎としている。
そして実際のところ、この行動の動機こそが私をして、そもそも宣言をせんと
思うに至らしめたものであるのだ。

友よ私よ!見ようではないか!何と月明かりの輝かしいことか!』

(エンドロール)
そして僕は雪で死んでしまったみたいだ。
何も氷った雪に滑って頭を地面に打ち付けてしまったわけじゃない。
上から落ちてきた大量の雪に押しつぶされてしまったわけでもない。
ただただ、降ってくる雪に頭をごつんとやられて、そのまま眠くなったら、
寒くなって、死んじゃったというだけみたいだ。
しょうもない死に方だなあって死にながら少し思った。
もっと一緒に遊びたい人とか、
もっとやりたいこととか、
もっといきたいこととか、
いろいろあったのになあって、
がっかりした。
ねむいってあったかいとちかいのかなっておもってたけど、
かならずしもそうじゃないみたい。
つめたくてさむういのもねむいなんだね。
ああ
おつきさまきれい
おほしさまきれい
じょばんに
ぼくにとってのじょばんに
あまのがわがみえない
ふゆだもの
しりうす
おりおん
おほしさまってこんなにもちかいところにあったのかなあ
おつきさまのうさぎもさむそうにしてる
ぼくがさむいんだもの
あたりまえだよね
たひちはいまごろあたたかいのかなあ
たひちのおつきさまのうさぎさんもあたたかいのかなあ
こたつのねこはあったかいだろうなあ
がっこうのねこはいまごろさむいのかなあ
ゆきであそんでいるかなあ
あのこはあったかいかなあ
あいつはあったかいかなあ
みんなどうしてるかなあ
こんなことかんがえてたら
ぼくもあったかくなってきた
でもさむいよ
ゆきだもん
さむいよ
あったかいとさむいって
あんまりちがいはなかったんだね
ねむれないねむれないなんていっていたけれど
いまはすごくよくねむれそう
ねたらしぬぞとかよくいわれてるけどさ
ねむるって
きもちいよ
ああ
ゆきがぼくをころす
ゆめみたいだ
まぶしいたいようと
ちちゅうかいのかわいたくうき
せき
せまくるしいくうかんにとじこめられて
じぶんがなにものかわからないまましんでしまうよりは
よっぽどましなきがするよ
あんまりさむいとあたたかい
どらいあいすのやけど
ねむい
ねむい
ねむくないけど
ねむい
さむい
さむい
さむくないけど
さむい
けど
やっぱりあったかい
みんないたもの
みんないるもの
みんなあったかいもの
みんなつめたくなんかないもの
ほんとうかなあ
ぼくはしんじたい
みんないまごろあったかいって
だれもつめたいひとなんかいないって
こたつでぬくぬく
ふとんでぬくぬく
はるはぽかぽか
なつはぎらぎら
あきはぽかぽか
ふゆはぬくぬく
やっぱりあったかい
みんなあったかい
ぼくはうれしい
みんなありがとう
ぼくはもうしんでしまうみたいだけど
もうしんでしまっているのかもしれないけれど
とってもさびしいけれど
ちっともさびしくないよ
そとはよるなのにゆきとつきでこんなにもあかるくて
とてもしあわせなくらいしずかで
みんなあったかいんだもの
さびしいはずなんて
ないよね?
ねむいねむいねむい
ねむれないけどとってもねむい
もうねようかな
しあわせ
ありがと
おやすみ

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