アキレスと亀、うさぎと亀、そして。
2008年1月20日 読書 コメント (2)
(進路の「第0希望」がニートであるのと同様に、
人生で「第0番目」の汚点があったことを再認識。
やはり生きること、それ自体が原罪なのか。)
(ホワイトアルバムまじ名盤。NEXUS2060まじ名盤。
この二つをこうやって並べてしまうことへの抵抗はあるが。)
(そういうわけで、無目的であることを負い目とせずともよい、
と言ってくれる人もおられるようだが、
残念ながら、どうやらそういうわけにはいかないようだ。)
(センター試験を四年連続で受けてるっぽい。これじゃあセンターが
好きな人だと思われてしまう。)
(残念ながらああいう貧乏展開は自分の人生履歴の傷と言っても
仕方ない気がする。何としてでも阻止してもらわねば。
恨むならその対象は。)
(このまま資本主義社会、商業主義社会にひねりつぶされてしまうのか?
正直それだけは御免だ。しかし久々に現実をぶち当てられて思うことには、
結局それも「第0希望」だ、ということ。)
(『本当に大事なものに、理由なんていらない。笑顔に理由がいらないように。涙に理由がいらないように。』
2008.1.18 読売新聞「こどもの詩」にて、長田弘。
川崎氏のコメントが好きで、この人に変わって以降、
このコメントを見るまでしっくりきたことがたぶんなかった。)
(『技術の本性』『人間は、技術をコントロール出来ると考えているが、そもそも火を使い石器などの技術を使えるようになったことで、人間が人間らしい生活が出来るようになった。実は技術こそ人間を生み出したのではないか。』『だとすれば、人間が技術をコントロール出来るという考えは傲慢かもしれない』
2008.1.18 読売新聞 「木田元さん新著 『反哲学入門』」)
(『公共哲学とは何か』
個人的に、勝手にキーワードにしたいのが、「(対立ではなく)相互補完」。
他者を「取り込む」ことはそんなに不可能なのか?
アメーバアメーバ)
もちろん追いかけるのも結構なことではあるだろう。
しかし追いかけるだけでどうなるというのだ。
ただただ轍をなぞるだけでは一向に追いつけるはずもない。
要するに、追いかけるだけではなく、追いかけないことも肝心である、と。
しかし「追いかけない」ことは決して停滞を意味しはしない。
忍耐を意味するわけでもない。
砂漠のろーどレース。
自分の先を行く目標を横目で見つつも、自分は自分でオアシスを。
しかし方向成分的には相手と同じ方向にも進んでいる、ということは必要不可欠。
追いかけつつも追いかけない。
単に相手の影を踏んでいくだけでは満たす・満たされるはずがない。
相手の進行方向に対して、
自分は30度くらいずれて進む。
そもそも「追いつく」なんてものは存在していないのではないだろうか。
だから、ただ追いつくことだけを考えて
相手の足跡を探ることばかりに気を向けてしまえばしまうほど、
自分の存在価値は希薄なものとなっていくに違いない。
今まではそのことに気付いてすらいなかった。
だからいつまで経っても認めてもらえないわけで。
さて、僕はどういうルートでどこに行こうか?
(サルトル。頭からディスプレイに突っ込みそうになった。)
人生で「第0番目」の汚点があったことを再認識。
やはり生きること、それ自体が原罪なのか。)
(ホワイトアルバムまじ名盤。NEXUS2060まじ名盤。
この二つをこうやって並べてしまうことへの抵抗はあるが。)
(そういうわけで、無目的であることを負い目とせずともよい、
と言ってくれる人もおられるようだが、
残念ながら、どうやらそういうわけにはいかないようだ。)
(センター試験を四年連続で受けてるっぽい。これじゃあセンターが
好きな人だと思われてしまう。)
(残念ながらああいう貧乏展開は自分の人生履歴の傷と言っても
仕方ない気がする。何としてでも阻止してもらわねば。
恨むならその対象は。)
(このまま資本主義社会、商業主義社会にひねりつぶされてしまうのか?
正直それだけは御免だ。しかし久々に現実をぶち当てられて思うことには、
結局それも「第0希望」だ、ということ。)
(『本当に大事なものに、理由なんていらない。笑顔に理由がいらないように。涙に理由がいらないように。』
2008.1.18 読売新聞「こどもの詩」にて、長田弘。
川崎氏のコメントが好きで、この人に変わって以降、
このコメントを見るまでしっくりきたことがたぶんなかった。)
(『技術の本性』『人間は、技術をコントロール出来ると考えているが、そもそも火を使い石器などの技術を使えるようになったことで、人間が人間らしい生活が出来るようになった。実は技術こそ人間を生み出したのではないか。』『だとすれば、人間が技術をコントロール出来るという考えは傲慢かもしれない』
2008.1.18 読売新聞 「木田元さん新著 『反哲学入門』」)
(『公共哲学とは何か』
個人的に、勝手にキーワードにしたいのが、「(対立ではなく)相互補完」。
他者を「取り込む」ことはそんなに不可能なのか?
アメーバアメーバ)
もちろん追いかけるのも結構なことではあるだろう。
しかし追いかけるだけでどうなるというのだ。
ただただ轍をなぞるだけでは一向に追いつけるはずもない。
要するに、追いかけるだけではなく、追いかけないことも肝心である、と。
しかし「追いかけない」ことは決して停滞を意味しはしない。
忍耐を意味するわけでもない。
砂漠のろーどレース。
自分の先を行く目標を横目で見つつも、自分は自分でオアシスを。
しかし方向成分的には相手と同じ方向にも進んでいる、ということは必要不可欠。
追いかけつつも追いかけない。
単に相手の影を踏んでいくだけでは満たす・満たされるはずがない。
相手の進行方向に対して、
自分は30度くらいずれて進む。
そもそも「追いつく」なんてものは存在していないのではないだろうか。
だから、ただ追いつくことだけを考えて
相手の足跡を探ることばかりに気を向けてしまえばしまうほど、
自分の存在価値は希薄なものとなっていくに違いない。
今まではそのことに気付いてすらいなかった。
だからいつまで経っても認めてもらえないわけで。
さて、僕はどういうルートでどこに行こうか?
(サルトル。頭からディスプレイに突っ込みそうになった。)
コメント
2008.1.18 読売新聞 「木田元さん新著 『反哲学入門』」)
道具ありき、って新しい。面白い。
虚構/現実、のあれと一緒で、鳥/卵なループ!