(進路の「第0希望」がニートであるのと同様に、
人生で「第0番目」の汚点があったことを再認識。
やはり生きること、それ自体が原罪なのか。)

(ホワイトアルバムまじ名盤。NEXUS2060まじ名盤。
この二つをこうやって並べてしまうことへの抵抗はあるが。)

(そういうわけで、無目的であることを負い目とせずともよい、
と言ってくれる人もおられるようだが、
残念ながら、どうやらそういうわけにはいかないようだ。)

(センター試験を四年連続で受けてるっぽい。これじゃあセンターが
好きな人だと思われてしまう。)

(残念ながらああいう貧乏展開は自分の人生履歴の傷と言っても
仕方ない気がする。何としてでも阻止してもらわねば。
恨むならその対象は。)

(このまま資本主義社会、商業主義社会にひねりつぶされてしまうのか?
正直それだけは御免だ。しかし久々に現実をぶち当てられて思うことには、
結局それも「第0希望」だ、ということ。)

(『本当に大事なものに、理由なんていらない。笑顔に理由がいらないように。涙に理由がいらないように。』
2008.1.18 読売新聞「こどもの詩」にて、長田弘。
川崎氏のコメントが好きで、この人に変わって以降、
このコメントを見るまでしっくりきたことがたぶんなかった。)

(『技術の本性』『人間は、技術をコントロール出来ると考えているが、そもそも火を使い石器などの技術を使えるようになったことで、人間が人間らしい生活が出来るようになった。実は技術こそ人間を生み出したのではないか。』『だとすれば、人間が技術をコントロール出来るという考えは傲慢かもしれない』
2008.1.18 読売新聞 「木田元さん新著 『反哲学入門』」)

(『公共哲学とは何か』
個人的に、勝手にキーワードにしたいのが、「(対立ではなく)相互補完」。
他者を「取り込む」ことはそんなに不可能なのか?
アメーバアメーバ)

もちろん追いかけるのも結構なことではあるだろう。
しかし追いかけるだけでどうなるというのだ。
ただただ轍をなぞるだけでは一向に追いつけるはずもない。
要するに、追いかけるだけではなく、追いかけないことも肝心である、と。
しかし「追いかけない」ことは決して停滞を意味しはしない。
忍耐を意味するわけでもない。
砂漠のろーどレース。
自分の先を行く目標を横目で見つつも、自分は自分でオアシスを。
しかし方向成分的には相手と同じ方向にも進んでいる、ということは必要不可欠。
追いかけつつも追いかけない。
単に相手の影を踏んでいくだけでは満たす・満たされるはずがない。
相手の進行方向に対して、
自分は30度くらいずれて進む。
そもそも「追いつく」なんてものは存在していないのではないだろうか。
だから、ただ追いつくことだけを考えて
相手の足跡を探ることばかりに気を向けてしまえばしまうほど、
自分の存在価値は希薄なものとなっていくに違いない。
今まではそのことに気付いてすらいなかった。
だからいつまで経っても認めてもらえないわけで。

さて、僕はどういうルートでどこに行こうか?

(サルトル。頭からディスプレイに突っ込みそうになった。)

コメント

yanaka
+
2008年1月28日2:58

>(『技術の本性』『人間は、技術をコントロール出来ると考えているが、そもそも火を使い石器などの技術を使えるようになったことで、人間が人間らしい生活が出来るようになった。実は技術こそ人間を生み出したのではないか。』『だとすれば、人間が技術をコントロール出来るという考えは傲慢かもしれない』
2008.1.18 読売新聞 「木田元さん新著 『反哲学入門』」)

道具ありき、って新しい。面白い。
虚構/現実、のあれと一緒で、鳥/卵なループ!

や
2008年1月29日4:20

ああ、確かに言われてみれば!
や

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