作用・反作用(ないしはエロス・タナトス)、
南北問題、
賃労働と資本、
冷房、
夏休み、
などなど、
を、
踏まえ、
同時に、
超個人的な視点にも立ちながら考えると、
役に立たないものこそ役に立たなくなく、
役に立つものは本当は役に立たない、
という結論に至る。
しかしここで注意すべきは、
「何が役に立たないもの(とされるもの)であり、
何が役に立つもの(とされるもの)であるか」
ということ。
ある者は、
例えばAを役に立つと考えるであろうし、
またある者は、
そのAを役に立たないと考えるであろう、
要するに、
「絶対にAは役に立つ(ないしは役に立たない)」
ということを確言できる保証はないだろう、
ということだ。
(情けない事ながら、
ここから先は、
まだ頭の整理がついていないのでありますです、はい)
よよよ、要するに、
繰り返しますが、
「役に立たないものこそ役に立たなくなく、
役に立つものは本当は役に立たない、」
けれども、
それ以前に、
本当は、
価値というものは、
存在しない
のではないか、
とも、
思うのです。
それでそれで、
これを突き詰めていくと、
(どういうわけか、)
「僕は全てで、全ては僕、
同時に、
全ては無、
従って、
僕は全てで、僕は無だ、」
みたいな、
汎神論は結局無神論だ!
的な展開に(単なる妄想であろうが、)陥り、
更には、
唯識だの、
縁起だの、
因果だの、
何だか仏教みたいなことが連想されてくるのでした。
きりがないので、
とりあえずは、
この辺にしましょう。
もっと論理的に考えるようにしたい、「かもしれませんね」。
まあいいや、
どうでもいい。
(大幅に適当です。)
おしまい
南北問題、
賃労働と資本、
冷房、
夏休み、
などなど、
を、
踏まえ、
同時に、
超個人的な視点にも立ちながら考えると、
役に立たないものこそ役に立たなくなく、
役に立つものは本当は役に立たない、
という結論に至る。
しかしここで注意すべきは、
「何が役に立たないもの(とされるもの)であり、
何が役に立つもの(とされるもの)であるか」
ということ。
ある者は、
例えばAを役に立つと考えるであろうし、
またある者は、
そのAを役に立たないと考えるであろう、
要するに、
「絶対にAは役に立つ(ないしは役に立たない)」
ということを確言できる保証はないだろう、
ということだ。
(情けない事ながら、
ここから先は、
まだ頭の整理がついていないのでありますです、はい)
よよよ、要するに、
繰り返しますが、
「役に立たないものこそ役に立たなくなく、
役に立つものは本当は役に立たない、」
けれども、
それ以前に、
本当は、
価値というものは、
存在しない
のではないか、
とも、
思うのです。
それでそれで、
これを突き詰めていくと、
(どういうわけか、)
「僕は全てで、全ては僕、
同時に、
全ては無、
従って、
僕は全てで、僕は無だ、」
みたいな、
汎神論は結局無神論だ!
的な展開に(単なる妄想であろうが、)陥り、
更には、
唯識だの、
縁起だの、
因果だの、
何だか仏教みたいなことが連想されてくるのでした。
きりがないので、
とりあえずは、
この辺にしましょう。
もっと論理的に考えるようにしたい、「かもしれませんね」。
まあいいや、
どうでもいい。
(大幅に適当です。)
おしまい
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