いちごみかん

2006年3月21日 日常
僕のバナナは半分腐りかけていた。
腐りかけの部分は身体にいいとも聞く。
また、熟れていない部分に比べて余程甘い。
この甘さがバナナのぎりぎり具合の醍醐味なのであって、
我々人間の及び得るところでは到底無いことは
皆々お気付きのことだろう。

片やいちごである。
いちごと言えば冬の味覚なのであるが、
冬はとおいおほしさまのむこうからやってくることは知っていましたか?
とおいおほしさまのむこうは真っ暗で、
僕等の目では何も見えない。
それでもおほしさまは冬を明るく照らすのです。
それで何かが見えるわけではないのに。
その明るさ、無意味で力の無い明るさがいちごをいちごたらしめる。
それを僕等がつまんで食べようと、そこらに寝っ転がってゐる
野良猫達は一切干渉してこないでしょう。
なぜなら彼女たちは野良猫でしかないのだから。

そしてみかんだ。
みかんはバナナのとおい親戚だった。
戸籍謄本で調べた結果解った事実である。
みかんにはそれが許せなかったが、
事実としてそれは揺るぎない。
僕は彼の手助けをしたくなったが、
手助けと言うのは時に過干渉であり、本人の自立を妨げる一因となる。
みかんはバナナの、あの仄暗い甘さにはどうしたって敵わないことを
頭の奥底で想像していた。
想像する分には易しかった。
しかし却ってそれがみかん自身の生い立ちを
ひどく苦しめるものであったことは言うまでもない。

そう、エピローグが後で、プロローグが前、 なのだ。
朝起きると
「朝ごはん朝ごはん僕らの朝ごはん」という歌が
右耳と左耳と足指の隙間からかすかに響き渡る。
いちごもみかんも、そしてバナナも
みんな仲良く朝ごはんなのだ。
「もう悔いは無いんだろう?」
確かめるように彼は独り囁く。
誰も聞くものはいない。
ただただ独り囁くのみなのだ。

もうすぐ春が来る。
明るい明るい冬はとおいとおいおほしさまの向こうへ逃げていってしまう。
僕はそれを走って追いかける。
炬燵布団が風になびく。
こいのぼりの花が咲く。
水族館でイクラが泳ぐ。
僕は走って明かるいはずの冬を追いかける。
白い息を切らしながら、
春がやってこないように、
いつまでも春がやってこないように、
はあはあ息を切らして全速力で追いかける。
待ってくれ、待ってくれ。
いちごやみかんやバナナやりんごはそれを傍目で見て見ぬふりをし、
ダイニングキッチンの窓から入る水色の光に包まれながら
焼いたトーストを片手に談笑する。

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や

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