Bei mir bist du schoen
2006年1月19日 日常マルコメはマルコムXの孫だといっても誰も信じてくれない。
ある出来事をきっかけに僕は鞄を右肩に掛けるようになったが、
昨日あたりから右肩が痛くて鞄を掛けられなくなった。
僕はこのことを「時代」の終わりだと解釈した。
絶望からくるストレスのせいで胃潰瘍になってしまった彼は
昔住んでいた、母親の実家である瀬戸内海に面した崖の上に立つ家で日常の一切の雑事から離れて静養していた。
どのくらい離れていたかと言うと、
一時期中毒と言えるほどメールをしていた携帯電話にも触れず、
十日ぶりに何の気なしに開いてみたところ3通もメールが来ていたことに驚いたほどで、
まだ自分などに構ってくれる人間がいたのかと安堵しつつも
呆れかえっていたのだった。
或いは新聞、ラジヲ、テレビといった類のものにも触れず、
その家にはパソコンもなかったのでインターネットをすることもなかった。
そんな感じで彼は外界との接触は一切断ち、
することといえば仏壇のある部屋の窓際の竹細工でできた安楽椅子に一日中座って
そこから見える海や島、船の往来を見ることぐらいで、
食事などの世話をしてくれる祖母と会話することも、ここに来てからニ週間たった頃にはほとんど無くなっていた。
窓の外の海や島はいつも彼の心を慰めてくれた。
いや、ある意味この表現は語弊があるかもし知れない。
というのも彼は最早「心」をほとんど失っていたに等しかったからだ。
それを考えると彼がこれまで自ら命を断つこともせず、
胃潰瘍で済んだのはある種の奇跡であると言っていいだろう。
彼には希望も目標もあったはずなのだが、
それが却って彼の喉元をじわじわと締めていくことになったようだ。
いつのことだか彼は言っていた。
「絶対ない、ってことは絶対ないんだよ。」
初めはよく意味が分からなかった、というよりは日本語そのものが分かりづらかったのだが、
要するに彼は自分の可能性を信じていたらしい。
その可能性は傍から見ているものからすれば馬鹿馬鹿しいほどゼロと大差なかったが
彼は自分の可能性を信じていたらしい。
その純粋さが彼をおかしくしてしまったんだと思う
もう一月くらい経った頃だったか、彼はときどき本を読むようになったらしい。
何が彼をそこまで回復させたか、勿論窓外の景色だろう。
彼は幼い頃から海が好きだった。
泳げないくせに海が好きだった。
家族で海に行ったって足だけ海水につけて、
それこそ足の皮膚がふやけてしまうまでぼーっと向こうの島を見ていた。
彼が何の本を読んでいたかは知らない。
しかしそれまでの生気のない目で遠くを見つめていた彼とは様変わりして熱心に読みふけり、
一日に二冊読み終えてしまうことも良くあったらしい。
あんなに本が苦手だった彼が、だ。
相変わらず祖母との会話は必要最小限だった。
この祖母も彼が受験生だったときにはわざわざお守りを送ってきてくれる程よくしてくれた。
彼は受験に失敗こそしなかったものの、好きでもないことを学ぶ意義が分からず、
2年次に2留したあと退学した。
元々人付き合いも苦手だった彼が精神に変調を来たしたのはその前後のことである。
彼はこの世界が大好きだったし、人と関わることも大好きだったのだが、
大学に入ってからはうまくいかなかった。
どうしたことかうまくいかなかった。
彼の控えめというか消極的な性格からすれば必然とも言えるのだろうが、
彼はその点に関しては殊に物分りが悪かった。
ひょっとすると気付いていたのかもしれないが、彼自身どうしようもなかったのだと思う。
そして彼はいつまでたっても高校時代にしがみついていた。
彼は夢を見た。
幼い頃母の実家の隣に住んでいたおじいさんがでてきた。
久しぶりだな、と思った。
懐かしかった。
よく遊んでくれたおじいさんだった。
みんなボケていると言っていたのだが、幼い自分には全くそう感じられなかった。
それは単に幼すぎて「ボケている」の意味が分からなかったからではない、と彼は信じていた。
彼は何も信じられないはずの自分が幼い頃の記憶は信じられることが可笑しかった。
もうだめだな、と思った。
祖母は自分からは彼の世話をだんだんしなくなっていった。
彼は腹が空いたときは頼んで食事を作ってもらっていたが、
その頻度も減っていった。
祖母もさすがに耄碌していたので気に留めることがなかった。
彼は自分の昔の記憶を食べて生きていたから別に腹など空くわけもなかった。
彼は眠る前に思った。
このまま全ての記憶を食べ尽くしてしまったら自分はどうなるのだろうか。
しかし彼は生来の呑気さからそのことを深く考えることもなかったし、
どうせみんな自分の未来なんてわかりっこないし、
自分がどうなったって世界が変わることもないだろうと思っていたし、
何より彼が確信していたことは、
自分の魂は肉体が滅んだとしても永久に不滅で、この世を自由に動けまわれるだろうということだったから、
彼は速く身軽な魂になってあの人のところやあの人のところへ飛んでいきたいと思っていた。
今頃彼はどうしているだろうか。
彼の確信通りにこの世を飛び回っているのだろうか。
それともまだ海を眺めたり本を読んだりしているんだろうか。
ちなみに僕自身は「絶対ない」はあると思う。
ある出来事をきっかけに僕は鞄を右肩に掛けるようになったが、
昨日あたりから右肩が痛くて鞄を掛けられなくなった。
僕はこのことを「時代」の終わりだと解釈した。
絶望からくるストレスのせいで胃潰瘍になってしまった彼は
昔住んでいた、母親の実家である瀬戸内海に面した崖の上に立つ家で日常の一切の雑事から離れて静養していた。
どのくらい離れていたかと言うと、
一時期中毒と言えるほどメールをしていた携帯電話にも触れず、
十日ぶりに何の気なしに開いてみたところ3通もメールが来ていたことに驚いたほどで、
まだ自分などに構ってくれる人間がいたのかと安堵しつつも
呆れかえっていたのだった。
或いは新聞、ラジヲ、テレビといった類のものにも触れず、
その家にはパソコンもなかったのでインターネットをすることもなかった。
そんな感じで彼は外界との接触は一切断ち、
することといえば仏壇のある部屋の窓際の竹細工でできた安楽椅子に一日中座って
そこから見える海や島、船の往来を見ることぐらいで、
食事などの世話をしてくれる祖母と会話することも、ここに来てからニ週間たった頃にはほとんど無くなっていた。
窓の外の海や島はいつも彼の心を慰めてくれた。
いや、ある意味この表現は語弊があるかもし知れない。
というのも彼は最早「心」をほとんど失っていたに等しかったからだ。
それを考えると彼がこれまで自ら命を断つこともせず、
胃潰瘍で済んだのはある種の奇跡であると言っていいだろう。
彼には希望も目標もあったはずなのだが、
それが却って彼の喉元をじわじわと締めていくことになったようだ。
いつのことだか彼は言っていた。
「絶対ない、ってことは絶対ないんだよ。」
初めはよく意味が分からなかった、というよりは日本語そのものが分かりづらかったのだが、
要するに彼は自分の可能性を信じていたらしい。
その可能性は傍から見ているものからすれば馬鹿馬鹿しいほどゼロと大差なかったが
彼は自分の可能性を信じていたらしい。
その純粋さが彼をおかしくしてしまったんだと思う
もう一月くらい経った頃だったか、彼はときどき本を読むようになったらしい。
何が彼をそこまで回復させたか、勿論窓外の景色だろう。
彼は幼い頃から海が好きだった。
泳げないくせに海が好きだった。
家族で海に行ったって足だけ海水につけて、
それこそ足の皮膚がふやけてしまうまでぼーっと向こうの島を見ていた。
彼が何の本を読んでいたかは知らない。
しかしそれまでの生気のない目で遠くを見つめていた彼とは様変わりして熱心に読みふけり、
一日に二冊読み終えてしまうことも良くあったらしい。
あんなに本が苦手だった彼が、だ。
相変わらず祖母との会話は必要最小限だった。
この祖母も彼が受験生だったときにはわざわざお守りを送ってきてくれる程よくしてくれた。
彼は受験に失敗こそしなかったものの、好きでもないことを学ぶ意義が分からず、
2年次に2留したあと退学した。
元々人付き合いも苦手だった彼が精神に変調を来たしたのはその前後のことである。
彼はこの世界が大好きだったし、人と関わることも大好きだったのだが、
大学に入ってからはうまくいかなかった。
どうしたことかうまくいかなかった。
彼の控えめというか消極的な性格からすれば必然とも言えるのだろうが、
彼はその点に関しては殊に物分りが悪かった。
ひょっとすると気付いていたのかもしれないが、彼自身どうしようもなかったのだと思う。
そして彼はいつまでたっても高校時代にしがみついていた。
彼は夢を見た。
幼い頃母の実家の隣に住んでいたおじいさんがでてきた。
久しぶりだな、と思った。
懐かしかった。
よく遊んでくれたおじいさんだった。
みんなボケていると言っていたのだが、幼い自分には全くそう感じられなかった。
それは単に幼すぎて「ボケている」の意味が分からなかったからではない、と彼は信じていた。
彼は何も信じられないはずの自分が幼い頃の記憶は信じられることが可笑しかった。
もうだめだな、と思った。
祖母は自分からは彼の世話をだんだんしなくなっていった。
彼は腹が空いたときは頼んで食事を作ってもらっていたが、
その頻度も減っていった。
祖母もさすがに耄碌していたので気に留めることがなかった。
彼は自分の昔の記憶を食べて生きていたから別に腹など空くわけもなかった。
彼は眠る前に思った。
このまま全ての記憶を食べ尽くしてしまったら自分はどうなるのだろうか。
しかし彼は生来の呑気さからそのことを深く考えることもなかったし、
どうせみんな自分の未来なんてわかりっこないし、
自分がどうなったって世界が変わることもないだろうと思っていたし、
何より彼が確信していたことは、
自分の魂は肉体が滅んだとしても永久に不滅で、この世を自由に動けまわれるだろうということだったから、
彼は速く身軽な魂になってあの人のところやあの人のところへ飛んでいきたいと思っていた。
今頃彼はどうしているだろうか。
彼の確信通りにこの世を飛び回っているのだろうか。
それともまだ海を眺めたり本を読んだりしているんだろうか。
ちなみに僕自身は「絶対ない」はあると思う。
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