窮鼠猫を噛む、か。
弟はよくやったと思う。
それにしても恐ろしい事件だ。
しかし他に兄が淘汰される方法はなかったのだろうか。
自ら手を下すしかなかったのだろうか。
この世の不条理は「鬼」のせいか?
因果応報の謎。

実力テストは撃沈。過去最低順位を叩き出すと予想。


家と最寄駅の間に国道246号線の交差点があります。
駅に行くためには必ず横断しなくてはなりません。
国道は交通量が多く、その横断の為に歩道橋はあるのですが、
横断歩道はありません。
しかし地元の人間はしばしば、歩道橋を通らずに、
交差する道の信号にあわせて、国道を横切ります。
渡り始めるタイミングは、国道の信号が「右折のみ青」に
変わったときです。



僕は基本的には嫌な事はすぐに忘れてしまえる質です。
(なので引きずってる人間を見ると、まだかよ、とか時々思います)
しかし、週に一回くらい、ふとした拍子に(原因は不明)
その光景がフラッシュバックしてきます。
そうすると当然嫌な気分になりますね。
嫌な気分、と一口には言い切れない気分がします。
他の言い方をするならば、苦しくなる、というか。
まあ語彙の少ない僕にはうまく説明できませんが、
全く経験がない人はいないはずなので大丈夫でしょう。
とにかく、そう感じたときについしてしまうのは、
独り言です。
こうでもしないと苦しく苦しくなっていってしまうので、
その苦い光景を思い出せないようにするために、
思わず意味のない言葉とかを口走ってしまいます。
外にいるときはあまりならないのは救いです。
変にニヤニヤしてしまうことはありますが。
(この笑いを以前「弛緩」と言ったかもしれませんが、
逆でしたね。表情筋の意味不明の「緊張」です。)



こんな笑いにも自分では解からない領域で、理由があるのだそうです。
つまり、人間には「無意識」があって、例えば人と会話しているときに
なんということもなく、手でものをいじっていたりとか、
そういった一見意味の無いようなことも、深層心理の無意識に理由が
あったりするそうなのです。こういうことを応用して、心の病の原因を
引き出したりして、治療するのだそうです。
遺失物も同様です。心のどこかで「こんなものいらない」と
思っているから失くすのだそうです。僕はよく物を失くしますが、
それはどうかなあ、とは思いました。
そういったことについて書いてあるのがこの本。
フロイトの書いた「精神分析入門」です。
と、言っておきながら、一行たりとも読んでいません。
心理学に嵌っていると思われる、とある友人に薦めたのです。
何故薦めたか?
それは、以前僕が塾の英語の先生に、心理学なら先ずこれ、と
薦められたからです。
塾の講師(とりわけ文系か)は知識の量が半端じゃない人が
よくいるように思われます。
やはり学問を生業としているからでしょうか。
先日も塾で日本史の授業(例の延長多発な先生の授業)
を受けているときに、話が源実朝からどんどんずれて、
いつの間にか彼は文学について語っていました。
完全な雑談ながら、相当楽しかったです。
ああいうのを聞くと、本をたくさん読みたいなあ、という思いに
駆られるのですが、実際は読みません。何故かあまり読みません。
冒頭の本の説明文にしても、僕が本を薦めた結果これを読むことに
なった友人から大筋の説明をしてもらった結果です。
けれども本は読みたい。
読みたい読みたい読みたい。
なら読めよ、って感じですけどね。
本のちょっと(ずつ)なら読みますし読めます。
家にある僕の本は長いもので「斜陽」です。
あとは全部星新一のショートショートとか、志賀直哉の短編集とか、
宮沢賢治の詩集とか、短いものばかりです。
ジョイスの「ユリシーズ」くらい読んでみたいものですけどね。
気の遠くなる話です。
そして読みたい本は山のように増えていく。



何かの週刊誌の中吊り広告に、テレビの消滅だか何だかが
書いてありました。そしてすぐさまその理由を推測してみたわけです。
「これはテレビの機能がパソコンに吸収されてしまうということではないか?」と考えたわけです。
テレビに限らず、最近は例えば「おサイフケータイ」だとか、
携帯にテレビがくっついたりだとか、
パソコンで家のあらゆる事を管理するだとか、
科学の発展、生活の向上がどれもこれも「統合」を目標として
動いているように感じられます。
これが結構不安なんです。
多種多様なものがパソコンや携帯電話に機能が統合されていったら、
それら自体が異常を来たした場合はどうするのでしょうか?
携帯電話をどこかに置き忘れたり無くしたりしたらどうなるのでしょうか?
(まさに世界はどんどんSF小説に近づいているわけです。全ての物事を自分の身分証明書だったか何だかで済ませてしまう話がありました。主人公はそれをどこかで失くしてしまって、大変なことになっていました。どの話だったか、どんな結末だったかも忘れてしまいましたが、ぞくぞくっとしたものです。)
日本の政治だって権力が一箇所に集中しないようにするために
三権分立なんです。




今日も帰りに246を通った。
例の如く、歩道橋ではなく、普通に道路を渡る。
車が右折を始めた。
さあて、渡り始めるか。
のろのろのろと
五歩くらい歩いた。
そのとき、
派手なクラクションとともに大型トラックが突っ込んできた。

もちろん助かりました。
車が右折したのはたまたまで、「右折のみ青」になっていただけなのです。
全くもって不注意でした。
しかし今日はたまたま、「五歩歩いた」といっても
まっすぐ目的方向に進んだわけではなく、
かなり横方向の動きを織り交ぜながら進んだので、
あまり国道には入っていませんでした。

これも何か、無意識の所為なのでしょうか?
(今週は全体的に不調だった。)

ひでえ長さの長文!

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